科学少年から自転車へ

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「自転車で親孝行をする」道が現れた

脇本雄太, 第63回オールスター競輪

Q:自転車に関わってからどう人生が変わりましたか?

高校2年生の時に国体があって、そこで優勝できたんです。

当時は家庭の環境が良くなくて、貧しい生活だったのですが、優勝したことで「競輪選手」という道が見えたことが、一番の変化でした。自転車で走りながらお金も稼げて、母を助けることができますから。

Q:国体での優勝を成し遂げた時の気持ちは?

まさか優勝出来るとは思っていませんでした。驚きが最初、嬉しさはその次でした。

Q:自転車競技をやっていて、一番辛かった時を教えて下さい

肉体的な辛さと、精神的な辛さのそれぞれがあるんですが、肉体的に辛かったのは、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)のころです。体力的なトレーニングが圧倒的に多くて、本当にこれで良いのかな?と思う時が一番しんどかったです。

Q:どうやってその時期を乗り越えたのですか?

僕は「早く稼いで親孝行をしたい」という気持ちが強く、それ一心という感じでした。

一度は諦めたオリンピック

Q:では、精神的に辛かったのはいつでしたでしょうか?

一緒にオリンピックを目指していた母が、病気で倒れた時です。

Q:その時期にロンドンオリンピック(2012年)を諦めましたよね。

そうですね。ちょうど母親が亡くなる1週間くらい前に、大会の選考をすると言われました。そのとき、とても戦える状態じゃなかった。「選考基準が変わっても、僕はやりたくない」。そんな気持ちでした。

Final / Men's Keirin / GRAND PRIX OF MOSCOW 2019

Q:そこからリオオリンピックに戻ってくるわけですが、どんな気持ちの変化が?

心が折れている中でロンドンオリンピックを観て、「また競技をやりたい」と思いました。

僕はたくさんの人の応援、想いを背負っていますが、最終的に決めるのは自分の心だと思っています。オリンピックに出場したい、母のためにもメダルを獲りたいという「執着心」が、今の僕の中でとても大きな存在です。

スポーツが人々に与えるもの

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