ナショナルチーム時代を振り返って

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自分にとっては良い環境

Q:競輪の方はどうでしたか?あまり開催に出られないですし、難しかったかと思います。気を付けていたことなどは?

ナショナルチームの時は多少融通が効いていたと思いますし、なるべく直前欠場はしないようにしていました。事前にスケジュールを提出して、1本を集中して走る。自分には良い条件だったと思います。

Q:お金の面はさておき、良い環境だったということですね?

僕にとっては良かったですね。ただ・・・「競技は強くても日本の競輪では思うようにいかない」人もいます。そういう選手は、どうしても競輪の本数を走らざるを得ません。そういった意味では今の環境は素晴らしいと思います。

Q:その辺りも昔とは変わってきていますよね。

そうですね。当時は、海外の選手たちは4年越しで体を作ってきている中、自分たちの時はオリンピックの2、3ヶ月前からしか競輪競走を休みませんでした。4年は難しくても、年単位で生活の保障があり、練習に打ち込める環境を作った方が良いのではないか、と思って伝えてきたつもりです。

今は、競輪業界や民間のスポンサーさんが付いてくれて、そういった環境が整えられていると聞いています。

そう考えると、やはり今の環境は羨ましいと思います。

後編へ続く

【メダリストの軌跡】オリンピックを目指すことで得た経験を活かして欲しい/2004年アテネ五輪銀メダリスト 伏見俊昭インタビュー・後編