伏見俊昭 インタビュー

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ナショナルチーム時代を振り返って

Q:今のナショナルチームは伊豆に拠点を置いています。環境が前とは異なると思いますが、当時のナショナルチームと現在を比べてみて、どうですか?

自分たちの頃は、ずっとどこかを拠点にするということはありませんでした。でも春先に2週間から1ヶ月くらい、オーストラリア(当時の監督のゲーリー・ウエストコーチの母国)での合宿がありましたね。

元日本ナショナルチーム監督ゲーリー・ウエスト氏57歳が死去

その間、本業の競輪はお休みです。収入源が競輪しかなく、今みたいに業界のバックアップやスポンサーさんがついて生活の援助が入ることはありませんでした。

オリンピック代表の選考会の前には、月1回、伊豆での合宿が2日〜1週間ありました。そこで集まるのが3人の時もあるし、多ければ7、8人とか。来られない選手もいたので、今のような「絶対参加」感はなかったです。

それでも月のスケジュールが本当にタイトでした。合宿、国際大会、国内大会が続く感じでしたね。ワールドカップに出場して、1週間〜10日間のアジア選手権が続いて、空いてるタイミングで本業の競輪を走って、と。

当時は競輪に出ないと収入源がないので、「0」って訳にもいかなかった。月に最低1本、競輪の斡旋を確保をしてもらっていました。

家族みたいに接してくれた

Q:アテネオリンピックの時がゲーリーコーチで、北京オリンピック(2008)の時がフレデリック・マニェコーチだったかと思いますが、どちらの方がやりやすかった、などありますか?

ないですね。どちらのコーチも、本当に新しいことをたくさん教えてくれました。それに「家族みたいに接してくれた」と感じます。

「やるからには本当にその人のことを想って」といった様子が感じ取れました。

ゲーリーはそこまでうるさく言うタイプではなかったです。マニェは結構細かいところまで指摘されたな、という感じでしたけど、2人とも同じ位、親身に接してくれました。

Q:今のブノワ・ベトゥコーチも「チームメートはファミリーだ」とずっと言っています。

長い年月を共にすれば、そういう感情は持つと思います。マニェの時も合宿に1ヶ月くらい行きましたし、食事などでも一緒の時間を過ごしていれば、自ずとそういう関係になっていくのかな、と思いました。英語に関しては苦手だったのですが、片言とジェスチャーでしのいでました。本当に英語だけは真面目にやっておけば良かったなと思います。

僕にとってはいい環境

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