コーチとして応募して日本へ

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アームストロングを指導?

Point Race / Women Omnium / ASIAN TRACK CHAMPIONSHIPS 2020

Q:では、謎に秘められたクレイグコーチのプロフィールに迫りましょう。自転車のキャリアなど教えてもらえますか?

私は1963年にニュージーランドで生まれました。ジュニア・エリートともにロードとトラックのニュージーランド代表として走りました。そして26歳だったと思いますが、競技者として引退しました。

引退の理由としては、1988年のソウルオリンピックの際、国内選考で選ばれなかったことがあります。その後4年間を再びオリンピックに注ぐことは、当時の私には考えられませんでした。

その時には自分が何をしたいのか分かっていませんでしたが、運良くコーチとして仕事をする機会をもらい、自分のやりたいことも定まっていなかったので、取り敢えずコーチとしてやってみることにしました。そして今があります。

Women's Team Pursuit / TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP III, Hong Kong, クレイグ・グリフィン

Q:1988年のソウルオリンピックだけがオリンピック出場のチャンスだったのでしょうか?

その前のオリンピック、1984年の時にもチャンスはありました。フィジカルは問題無かったかもしれませんが、まだ若かったですし経験が足りない状態でした。だからこそソウルオリンピックに出ることが大きな目標だったのです。

そして当時の連盟内の決定に納得がいかなかったこと等もあり、ニュージーランド以外でレースをするか、それとも自転車から降りるか、その2択が自分の中にありました。

あのアームストロングも指導

クレイグ・グリフィン中長距離ヘッドコーチ, JCF中距離タレント発掘合宿

Q:そして自転車から降りたと?

そうですね。1988年の直後です。オリンピックを目指す選手たちはオリンピック・・・4年のサイクルで頻繁に変わっていきますが、私もその中の1人でした。そしてスタッフも同じく4年サイクルで変わっていきます。

私の場合は運が良く、アメリカチームのコーチの仕事が丁度空いていました。その時アメリカチームが探していたのはロードとトラックの経験がある人物で、私が適材だと思われたわけです。1988年のオリンピックの後、1989年にアメリカ中長距離のジュニアチームをコーチし始め、まだ冷戦時代だった頃にロシアで行われたジュニアの世界選手権に選手たちを連れていきましたね。

当時のチームは才能に満ちた選手たちで溢れていました。その中には、あのランス・アームストロングも居ましたよ。ほかにもボビー・ジュリック(1998年ツール総合3位)が居ましたね。2人ともツール・ド・フランスで表彰台に上がった選手です。

Q:アームストロング氏の話が出たので、是非とも触れたいのですが、彼は元々強かったのでしょうか?それとも潜在能力は感じられたが、その当時はあまり強くなかった?

彼は元々優れたアスリートでした。フィジカル面はとても優秀で、能力はエレガント、自信に満ち溢れており、典型的なテキサス出身の男の子でした。大人になって様々なこと(※ドーピング問題など)がありましたが、とても残念に思います。

当時はU-23がなく、ジュニアからいきなりエリートに上がっていました。エリートに上がった直後でもトップレベルで走れましたし、フィジカル面では才能に満ち溢れていましたね。最終的には自分に負けたというか、おそらく誰にも負けたくない気持ちが強過ぎたのでしょう。そこが欠点だったのかもしれません。

30年前の日本

コーチとしての最初の年である1989年の翌年、1990年からアメリカチームのトラック競技全般のヘッドコーチとなりました。ですから1990年に前橋で行われた世界選手権が、私にとってエリートクラスのコーチとして経験した初めての世界選手権だったのです。

Q:その時の結果はどうでしたか?

個人パシュートで1人が3位、もう1人が4位という結果を残しましたね。それから1989年か1990年かは覚えていませんが、選手たちをツール・ド・沖縄に連れていった記憶があります。ですからコーチとしての駆け出しの頃に、日本に来ていたというわけです。

Q:当時の日本の印象は覚えていますか?

もう30年前です。遠い昔なのであまり覚えてはいませんね(笑)ただ、前橋の施設は凄かったと記憶しています。競輪で使用するバンクの上に木を敷いていたはずです。とにかくあの施設を見た際に「凄い」と驚いた記憶があります。

Q:沖縄の思い出はありますか?

初めて日本酒を飲みましたね(笑)美味しかったし、酒樽を割るパフォーマンスも面白かったです。でも覚えているのはそれだけです。30年前のことは覚えておくのは難しいですよ。コーチとしてレースを見始めて1000を超える大会に出向いていますので、残念ですが記憶は曖昧です(笑)

「同じ目標に向かっている」日本チームの環境

クレイグ・グリフィン

Q:日本に来てみて驚いたことは?

今回コーチに就任するまでに2回ほど伊豆に来ていたのですが、ここまでとは思いませんでした。とても驚きました。インフラが世界レベルで整えられています。

Q:他の国のハイパフォーマンスセンターと比べるとどうなのでしょうか?

2つ(伊豆ベロドローム、JKA250)のインドアトラックがあること、外には日本競輪選手養成所のアウトドアトラックがたくさんあること、そしてスタッフの充実ぶりは素晴らしいです。たとえ優れた武器を持っていたとしても、それを使う人間がダメでは武器が活きませんからね。

コーチを始め、メディカルスタッフ、メカニック、栄養士、分析班など世界トップレベルのスタッフが揃っています。ですから総合してHPCJCは世界レベルのハイパフォーマンスセンターだと言っても過言ではないと思います。

そして大事なのはその誰もが同じ方向を向いているということです。オペレーションとしては、より効果的に、より効率的に洗練させていく必要がまだありますが、選手も含めて「チーム」として動けている。これが素晴らしい点だと思います。

Qualifying / Men's Team Pursuit / 2020 Track Cycling World Championships, クレイグ・グリフィン Craig Griffin

Q:あなたの視点からだと、誰がその中心になっているように見えますか?

全員だと思います。誰もが声を挙げられる環境にあります。そして何よりもこのチームにはコーチとして大きな経験を持つブノワ、オーストラリアの素晴らしい環境で学んだジェイソン、そして誰よりも経験を持つ自分を含め、世界トップのコーチが揃っています。

大事なことは我々が情報や知識をスタッフと共に共有し、チームとして働くことです。ですから今の環境は本当に良い環境だと感じていますし、素晴らしいチームであるとも感じています。

一方で使えるリソースが十分ではないという状況でもあります。そのため出来る限り円滑に、全てのリソースを共有しながら過ごさなければなりません。それはスタッフ、施設、機材など全てに対して言えます。そして全てを共有するために最も大事なことは「共通の目標を持つこと」なのですが、皆に同じ目標に向かっているのが、このチームだと感じます。

Q:それはやはりクレイグコーチの人柄からも来ているのではないでしょうか?

そうだと良いですね(笑)仕事に必要なのは「環境」と「チームの文化を整えること」だと思っています。それはメンタル的にも身体的にもです。環境とチームの文化が整って初めてパフォーマンス向上に注力することが出来ますし、初めて安定したトレーニングが可能となります。 

インタビュー後編ではオリンピックとその先に向けての展望と課題をお届けする。

【後編】「全てはオリンピックでのパフォーマンス次第」クレイグ・グリフィン/中長距離ヘッドコーチ インタビュー後編