自転車トラック競技日本ナショナルチームを支え、かつ次世代選手の育成にも力を入れるために日本自転車競技連盟が立ち上げたHPCJC(High Performance Center of Japan Cycling、以下「HPCJC」)にはコーチ、メカニック、メディカル、トレーナー、科学分析班といった様々なスタッフが揃っている。選手を多角的な視点から分析し、支え、さらなる高みへと引き上げるためのプロフェッショナル集団だ。

中長距離種目ヘッドコーチとして2019年夏に就任したクレイグ・グリフィンコーチ。就任してから1年と経たない内に梶原悠未選手を世界一に導くなど、その手腕に疑いはない。彼は今の日本チームをどのように見ているのか?クレイグ・グリフィンコーチへのインタビュー前編は、そのバックグラウンドを中心にお届けする。

自ら応募して日本へ

Men's Omnium / Point Race / TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP V, Brisbane, Australia, クレイグ・グリフィン

Q:2013年からはカナダでヘッドコーチをされていましたが、2019年に日本の中長距離ヘッドコーチとして就任されました。どのような経緯で日本に来ることになったのでしょうか?

正直、日本に行くことはカナダに居た時には想像していませんでした。カナダの連盟では2019年にスタッフの大幅な変更があり、パフォーマンスディレクターも変わり、コーチも変えるという話になりました。

今からおよそ1年前に私はカナダのチームを離れたのですが、友人が日本の連盟と繋がっており、そこから中長距離のコーチを日本チームが募集していると知りました。それに応募して、今ここに居るというわけです。タイミングが良かったです。

Men's Madison / TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP III, Hong Kong, 今村駿介 クレイグ・グリフィン

Q:カナダに居た時はどのような仕事を?

今の日本での立場と同じです。しかし女子だけを見ていました。そもそもカナダでコーチを始めた理由は、カナダがロンドンオリンピック、女子チームパシュートで銅メダルを獲得して成功した後、コーチ陣の一新を決定したことによります。コーチとして私に求められたのは、ロンドンでの成功を繰り返すこと。そしてより良いチームにすることでした。

まずはチームの再構築を行っていくわけですが、ロンドンオリンピック時の女子チームパシュートのメンバーはたった1人しか残りませんでした。

さらにロンドンでは3人だった種目がリオの時には4人の種目に変わり(※2013‐14シーズンから、それまで3人3kmだった女子チームパシュートは男子と同じく4人4kmに変更となった)、言葉通り再構築しなければならない状態でした。足りない3人だけでなく、サブとなる選手も含めると6人~8人を抱えることが理想です。そして2016年のリオオリンピックまでに、チームとして機能していなければなりませんでした。

結果として苦労はしましたが、2013年からチームを再構築して、リオでは再び銅メダルを獲得することが出来ました。チームの再構築からスタートした仕事で銅メダルを獲りましたから、私にとってリオの結果は満足できるものでした。とても大きなチャレンジでしたし、プレッシャーも多くありました。

Q:普段とは違うプレッシャーだったということでしょうか?

そうです。リオでの結果が、政府からの支援額に大きく影響することが理由でした。

カナダではオリンピックの結果を基に各スポーツ連盟に評価が与えられます。その評価はTier1、2、3と階層が分かれており、1が最も多く政府の援助金を貰えます。このTier1に位置するためには「オリンピックで2大会連続メダル獲得」が必要でした。

ですからリオでメダルを獲ることは、将来に向けて潤沢な資金でプロフェクトを進められるかどうかにおいて重要であり、単にメダル獲得だけが目的ではありませんでした。だからプレッシャーが大きかったです。

アームストロングを指導?

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