前編ではHPCJCの役割、立場、日本の可能性などについてHPCJCの全体統括であるミゲル・トーレス氏に語ってもらった。

HPCJCって何?全体統括のミゲル・トーレス氏インタビュー前編

ここからは後編。そもそも全体統括になったミゲル・トーレス氏の人物像、これまでの経緯、世界的なハイパフォーマンス事情、そして最後には本人がこの仕事を通して目指す目標などを語ってくれた。

コンタドール、バルベルデなどが台頭した年代

Q:まず、あなたの自転車との関わりについて教えて下さい。

地元のサイクルショップが全てのきっかけでした。

ヨーロッパではサイクルショップが自転車クラブを持っていて、子供たちがイベントなどを通じ、自転車に触れる機会を設けます。

私の地元はスペインのイビサ島です。パーティーばかりのイメージがあるかもしれませんが、あの辺りの島々は自転車が盛んな地域です。私もロード・トラック・MTBと色々やりました。

ミゲル・トーレス

写真提供:ミゲル・トーレス

自分が最も得意だったのはトラック競技です。あの地域はとても優秀な選手を輩出していて、私の年代(1983年生まれ)はとても良い選手たちが揃っていましたね。ダビド・ムンタネル(マヨルカ島のパルマ出身:2014年マディソンの世界チャンピオン)と戦いましたが、ジュニア時代に勝つのは不可能でした。ロードではもっと難しく、生まれた場所は異なりますが同じ年にアレハンドロ・バルベルデ、アルベルト・コンタドールなどの選手がいました。本当にタフな年代でした・・・

選手時代は国内で戦っていただけで、国際大会に出るような選手ではありませんでした。ですから自転車選手としては高校生の時に見切りをつけ、大学ではスポーツ科学を学び、徐々にコーチングやトレーニング論に興味を持っていきました。その後、フィンランドの大学院へ通いました。

Q:フィンランドで?なかなか珍しいのでは?

実はフィンランドはスポーツ科学の研究においては先進国です。パフォーマンスに関する分析や論文が、たくさんフィンランドから出ています。私はフィンランドで勉強をしながら少しずつ自転車のハイパフォーマンスについて関わっていくことになっていきます。

WCCのヘッドコーチも歴任

ミゲル・トーレス

写真提供:ミゲル・トーレス

2009年にはスペインで新たに設立したトレーニングセンターで中長距離コーチとして、中長距離の名選手ホアン・ジャネラス(Joan Llaneras スペイン出身、オリンピックで2個の金メダルを獲得)と一緒に仕事をする機会を得ました。

2012年のロンドンオリンピックまではスペインチームでコーチをし、その後はスイスにあるUCI本部の選手育成機関World Cycling Center(通称WCC)でヘッドコーチとしての仕事のオファーを受け、スイスに居を構えました。

それから2016年のリオデジャネイロオリンピックまでは中長距離だけでなく、短距離も受け持つ事になり、様々な選手をコーチングしました。

日本に初めて来たのは2016年の1月。リオオリンピック前の時期で、日本の自転車競技連盟(JCF)が選手たちのパフォーマンスを上げるために何が出来るのかコンサルティングする仕事でした。そこからJCFとのコネクションが出来て、今に至ります。

Q:日本での仕事を得るのは難しかったのでは?

WCCにいた頃、小田島梨絵さん(北京&ロンドンオリンピックMTB代表)がJOCの長期研修プログラムでスイスに来ていました。小田島さんから、帰国後に自分たちに何が出来るのかコンサルティングして欲しいという依頼を受けました。それが日本との繋がりの始まりです。日本に来た時に様々な人と話し、少しずつ来日の機会が増えていきました。

予想外の自分の未来 日本の可能性

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