ロードからトラックへ転向し、アメリカの『クリット・キング』と呼ばれるまでになったダニエル・ホロウェイ。元々ロードで世界を目指すも挫折、トラックでは東京オリンピックで世界のトップを狙うが、野心を持って臨むはずだった大会は延期になってしまった。ホロウェイは積み上げて来た日々を振り返り何を思うのか?

ダニエル・ホロウェイ プロフィール:

1987年5月21日生まれ(33歳)、アメリカ・テキサス州出身。アメリカでは『クリット・キング』の異名を持つ。現在はアメリカトラックナショナルチームに所属し中長距離種目を走っている。2017-18シーズンのワールドカップ・チリ大会では橋本英也との激闘を制しオムニアム優勝の成績を持つ。2018年のアメリカ大陸選手権ではマディソンで優勝。2019年のアメリカ大陸選手権ではオムニアムでチャンピオンとなっている。日本へはTrack Partyに参戦するなど来日歴あり。

自身のコントロール出来ないことで変わるとは

2018-2019 Tissot UCI Track Cycling World Cup II Men's Omnium

ダニエル・ホロウェイ

「落胆・怒り・困惑・裏切り・安堵・喜び・・・まるで今までのレース活動で感じた感情が一気に押し寄せてきたような気分だった」

東京オリンピック延期のニュースを聞いた時のことを、ダニエル・ホロウェイ(Daniel Holloway)33歳はそう語る。

「過去3年間、東京2020に出ることだけを考えて努力してきた。それが自身のコントロール出来ないことで変わるとは、想像もしなかった」

ホロウェイはアメリカのトラック競技中長距離の選手。幼少期はスピードスケートの選手として活動し、ジュニア時代に自転車競技に転向、そしてすぐに頭角を現した。

当時はヨーロッパでプロのロード選手になることを夢見て渡欧し(2008~2013年)、ガーミン(現エデュケーション・ファースト)の育成チームや、イギリス・イタリアの小さなチームに所属した。しかしいくつかの優秀な成績を収めたがプロツアー(現ワールドツアー)チームとの契約には至らず。

欧州での孤独な生活、スーパースターとして憧れていた選手たちのドーピング問題、あまりに脆弱なチーム体制など・・・彼にとって居心地の良い場所は無かった。

しかし2014年シーズンから、ホロウェイは地元アメリカに戻りアマチュアとして再出発を図る。アメリカで得た温かいサポート、信頼できる選手とスタッフに囲まれ、過去に学んできた経験が全て活かせるようになったと語る。

「10年以上プロツアーの夢を追って得たパズルのピースが全部合った瞬間だった」

アメリカ国内のプロ・クリテリウムのレースで年間20勝以上を挙げ、押しも押されぬアメリカのトップ選手となり、クリット・キング(クリテリウム王)の異名をも得た。

もう一度世界へ

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