←Vol.2「最強が故の苦しみと孤独

2020年を見据え来日

実はクリスティーナ・フォーゲルが日本のガールズケイリンで走っていたことはご存知だろうか。

出れば勝つ。そんなレースが当たり前だった。2016年の来日時、計9レースへ出場。その成績は脅威の8勝。1レースだけ2着に終わったレースがあったが、一人だけ男性が走っているのか?と思ってしまうほどの迫力、実力差で周囲を圧倒した。そんなレースを行っていたフォーゲルにとって、日本の競輪を走った意味とは・・・・?

「まず、私が選ばれて行きたい旨を伝えました。2020年のオリンピックに向けて日本の文化や日本の競輪を知りたかったんです。そしてとても日本を好きになりました。日本で生活をすれば、文化の違いを理解出来るし、ドイツにいるだけのドイツ人にはなりたくなかったという事もあって、短い間でしたが日本に行きました。異なる文化や人々、自然に触れることが出来て良かったと思っています。あんなに英語で話したのは初めてかもしれません(海外遠征時はドイツチームの皆と一緒)。面白かったのは、英語で夢を見始めたんです。それまではいつもドイツ語だったのに、英語をしゃべり過ぎて英語で夢を見るなんて(笑)もっと日本語を覚えていれば良かったんだけど、今は少ししか覚えていないんです。すみません」

いかにもフォーゲルらしいのが、しっかり2020年を競技者として見据えていたところ。日本の競輪を知りたい、経験してみたい。憧れはあったのかもしれないが、オリンピックのチームスプリント、スプリントを制した彼女の目的は2020年のオリンピックのケイリンで金メダルを獲り、オリンピックの金メダルコレクションを完成させることだった。しかし、それが果たされることはない。最強だったスプリンターは、どの様な未来を選択するのか。

「12月21日にようやく病院から退院して家に戻ることができます(インタビューは11月末に慣行)。病院から離れられるのは嬉しいですよ。クリスマスから年始は家族と共に過ごす予定です。でも病院から出た生活は大変でしょう。病院は私のような人に優しい環境ですが、外に出たら全てが高く、自宅でさえ車椅子だと不便ですからね。それで1月中旬くらいから再び病院に戻り、9月頃までリハビリです。平屋の自宅も新しく建てる予定です。

トラック競技は私の人生