「眠っていた持久力」が目覚めた
Q:小学校3年生からロードやシクロクロスをやってきた坂口選手ですが、そこで培ったものが競輪で活きる場面はありますか?
私はもともと持久タイプじゃなかったからロードを辞めたんです。脚質としてはダッシュ……と思い込んでたんですけど、市田さんのところでお世話になっているうちに変わることができたんです。ゴール前までタレずに走り切れるようになりました。
これは本当にロードレースで長い距離をやってきて、「眠っていた」持久力が、トレーニングで土台を作れたことで「目が覚めた」のだと思います。「あの頃何百キロも走ったことは無駄じゃなかったな……」と感じます。
他にみんなと違うと感じるのは、ペダリング。小学校の頃からがむしゃらにレースをしてきて、ペダリングを矯正されてきました。長年やってきたことが染み付いて、それが武器になっていると思います。市田さんにもペダリングについては評価されています。
Q:効率の良い回し方ですね。
はい、回すのが上手いと思います。無駄なペダリングだと自転車が進まないので、活きていますね。
Q:シクロで自転車を担ぐのは活きていますか?
あれは痛いだけなので(笑)
豊橋の水が合う
Q:今年は京都から愛知に移籍もされました。
移籍する前から4年間豊橋にいるんですけれど、その理由は「1人でしか練習ができなかったから」です。20歳かそこらの時に「これじゃ競輪選手人生が終わっちゃう」とすごく焦って、師匠に出稽古に行く旨を申し出ました。
最初は東京の京王閣。それから松阪、そして豊橋。1人で転々としながら練習をして、辿り着いたのが豊橋でした。豊橋はガールズの選手がすごくたくさんいて、豊橋のガールズだけで練習ができちゃうくらい。「ここ、すごく良い環境だ」と部屋を借りて住むようになり、豊橋に居着いちゃいました。
以前は競走得点が51点くらいしかなかったんです。豊橋で練習しているうちに54点まで行って、どんどん力がついて、レースの走り方も変わって、どんどん自信もついてくる。迎え入れてくれた選手たちにもすごく感謝しています。みんな優しいです。
豊橋の街の人の雰囲気も良いです。穏やかな感じが私に合う。名古屋は都会って感じなんですよね。この辺りはほどよく田舎で、住みやすい。気に入っています。
Q:「居やすい場所」を見つけられたのは良いことですね。
そうですね。豊橋の選手も名古屋の選手も、私にとって家族みたいなものです。
「本気」がぶつかり合うのは最高の気分
Q:デビューが2017年。ここまでガールズケイリン選手として生きてきて、この職業はおすすめできる職業ですか?
真剣な話をしちゃうと、甘い世界ではないです。レベルも上がってきて、中途半端な気持ちじゃ入れないと思います。ただそれを除けば、本気で頑張って人生をかけてやってみたいって人にはすごくおすすめの職業だと思います。
私はもともとマーク選手で、良い位置を取って2・3着狙いって感じでした。そんな人でも本気を出せば強い選手と戦ってトップまでいけて、頑張ったら頑張っただけ稼ぐことができます。もちろん本気で頑張る必要がありますが、それだけやれるんならすごく魅力的な職業だと思います。「競輪選手になってよかった」と、ここ1年は特に思っています。
本気で戦ってる者同士でレースをして勝てると、本当に最高の気分。だってみんな尊敬しあっていますから。そういう世界を一度経験してみて欲しいと思います。ここでしか味わえないもので、デビューしたばかりの自分には味わえなかったものです。
一度そこに入ってしまえば「頑張る」と思っちゃいますよね。お金もついてきますし。
村上イズムを受け継ぐ走りを
Q:男子競輪のファンと伺いました。好きな選手は?
佐藤慎太郎さん。そして引退されましたが、もともとは村上義弘さんが尊敬する選手でもあります。あの人の生き様を受け継ぐ気持ちでやってきたつもりです。義弘さんのおかげで競輪に対する熱い思いがあります。
Q:大きくキャラが違う2人ですね。
慎太郎さんは走りももちろんですが、私生活、人間的な部分を特に尊敬しています。ファン対応や後輩からの見られ方、あらゆる人に対しての「在り方」がすごいなって……とにかく「ファン」なんですけど(笑)すごく好きな選手です。
義弘さんは「魂」というか、競輪に対する真剣さ、他を寄せ付けない空気感がある方。いろんなことを教えてもらいました。
Q:村上義弘さんの引退の時はどうでしたか?
新聞で読んで泣きました。
Q:慎太郎さんはあと5年くらいは大丈夫そうですね。
そうですね、今47歳ということが信じられません。本当に人一倍努力されてると思います。体も痛いだろうに……全てがすごいと思います。世間の同世代の方には絶対できないことをやっています。
Q:レーススタイルも好きですか?
はい、どんなに絶体絶命の時にも確定版に乗る。最終バックで8番手にいたのに、最後は自分の力でどかして、危ないこともせず2着3着に入っちゃう。毎回興奮しています。
良いところも悪いところもお互いバレバレ
Q:ちょっと前に太田りゆ選手ら数名と一緒にディズニーに行ってましたね。
はい、同期のよしみで。実は112期って学校時代にいろいろあったんです。でもいろいろあったからこそ、良いところも悪いところもお互いバレバレ。
同期ディズニーとは
もはや家族旅行のようなもの🎃❤️🖤 https://t.co/NlkkVe6HyO— 成田可菜絵 (@nariponnta) October 7, 2023
今ではなんでも話せる仲間。もう本当に全部言えちゃう、家族以上の存在です。同じ高い目標に向かって頑張っている同志でもありますね。
でも、あのメンバーの中では私は年下。りゆさんには敬語で喋っています(笑)
Q:同期なのに(笑)
年功序列をちゃんと守っちゃうタイプです。同期でも年上なら敬語ですね。みんなも「それが楓華だ」と思ってくれてます。
私にはたぶん、この道。
Q:「高校3年でトラックレースを走って、魅力に気づいた」と伺っています。その時はどのようないきさつだったんでしょう?
もともと高校までで自転車を辞めようと思っていました。当時はロードレースを走っていて、姉はすごく活躍していたけれど、自分は全然。「おまけ」って感じでした。姉のおまけでチーム入るのが嫌で、もう自転車を辞めるつもりで父にも話していたのですが、「関西トラックフェスタに息抜きで出てみんか?」と出場を勧められました。
そのレースはおじさましかいない感じだったんですが、その中で勝てちゃったんですよね。おじさんでもずっと走っている人ですから強いんですよ、でも当時17歳でガリガリだった私が勝てて、さらに現役のガールズケイリン選手と走って、そのレースにも勝てちゃって。
小さい時から自転車に乗ってきたけれど、注目されたこともなかったし、ずっと苦しいことしかありませんでした。でも初めて競輪場で走ってケイリンを走った時に「私はたぶんこの道が向いてるんだ」と痛烈に感じました。スピード感や、1着でゴールした時の爽快感。あの時の感覚は今でも覚えています。「この道に行かなきゃだめだ」と17歳にして思いました。
お金もないので大学なんて無理。そうなったらもう競輪しかないんです。それまでガールズケイリンのことは知らないし興味もなかったけれど、父に「競輪選手になる」と話しました。トラックレースに出たおかげでガールズケイリンの存在を知ったので、あれは転機だったなと思います。
Q:親御さんの反応はどうでしたか?
そもそも父は「競輪選手になりたい」と考えていた時期があったようです。自分が自転車に未練があったから続けていて、子どもにも自転車をさせていた。競輪選手にさせようとは思っていなかったと思うのですが……
Q:そこまで打ち込める道を自分で見つけられたというのは良いですね。
そう思います。本当に水を得た魚みたいでした。すごくしんどくて、反対側にはすごく輝いてる姉がいて、そんな中で見つけた道だったので。出会いに感謝です。
Q:そういう「私はこれでいくんだ」を掴める人って、世の中に一握りもいないと思います。
それもあったから、京都で1人で練習してる時に「このまま終わりたくない」と思ったんです。上に上がりたいと本気で思ったから、環境を変えながらここまで頑張ってこれました。
それに結果がついてきてくれたら
Q:2年ぶりのグランプリ。自信や「今回はこうしたい」などはありますか?
2年前に比べれば自信はついています。でもガールズグランプリは特別なものなので、どれだけ自分をコントロールできるかが大事になると思います。
今は狙いに行くというより、「自分の気持ちをコントロールできたら次に繋げられる」と考えています。それに結果がついてきてくれたら最高ですね。今は「絶対勝ちたい」とか「狙う」とかではないです。
Q:初出場の時の精神状態って覚えてますか?
当時の私の目標は「グランプリに出ること」でした。なので出たことで目標を達成しちゃった部分があります。
だから全然緊張していなかったし、「一番注目されてないのは自分だな」と発走機で思ったことも覚えています。あの時出ていた7人の中、私だけが全然違う感情の中にいたんじゃないでしょうか。
Q:そうなると、走る前の時点で「優勝」には遠かった?
そうですね。グランプリが終わってからみんなで話をした時に、先輩たちがこの1年どれだけ苦労したかということを聞きました。私ももちろんしんどかったし、休みもなく走り続けたけど、先輩方の話を聞いて「これだけ1戦1戦休みもなくやってきた人たちがここにいるんだ」と改めて実感しました。
私は「出れちゃった」って感じだったんです。何も考えずにそこにやってきた。だから「恥ずかしいな」という気持ちがありましたね。
真剣に「グランプリで優勝したい」「タイトルを獲りたい」という気持ちは、その時までありませんでした。その時初めて「こんな気持ちで同じ舞台に立つことが恥ずかしい、これじゃいつまでもタイトルは獲れない」と感じました。
Q:では年末のグランプリ、改めてどのように挑みたいですか?
1年やってきたことが無駄にならないよう、しっかり集中して、その1戦に向けて全て出し切りたいと思います。