尾方真生。デビュー翌年にガールズケイリン最高峰レース「ガールズグランプリ」に出場し、そこから3年連続で同レースに出場する実力者。
しかし「練習は嫌い、期待してほしくない……」と語ってしまうのが尾方の素顔。その一方で「でも強くなりたい。やるんだったらトップで走りたい」ときっぱりとした言葉も見せる。
ギャップにあふれる尾方真生を掘り下げる、ロングインタビューをお届けする。
プロフィール
1999年熊本生まれ、福岡登録の118期。
高校までは陸上競技で活躍。大学時代に競輪選手養成所に入り、2020年5月にデビュー即完全優勝。その後も安定して好成績を収め、デビュー翌年の2021年には早くもガールズグランプリ初出場を果たす。2023年は8月に通算200勝を達成し、3回連続3回目のガールズグランプリへ挑む。
まっすぐ生まれて、まっすぐ生きて
Q:少し珍しい組み合わせのお名前ですが、どのような由来なんでしょう?
お腹の中で臍の緒が首と足に巻きついてたらしいんです。だから真っ直ぐ生まれてくること、それから真っ直ぐ生きるように、ということで「真生」。生まれた時2200gで、小さかったこともあるようです。
Q:ご家族もスポーツはされますか?
弟が2人いますが、体格が良いのにメンタルがとても弱いし、運動に興味はなさそうです。私のレースも見てないと思います……今年は来ないと言われましたけど、これまでは下の弟がガールズグランプリを見にきてくれていました。
Q:会場で弟さんを探したりしますか?
探さないです(笑)本人はレースというより、旅行と遊びが楽しみで来ていた感じ。だから今年中学に上がって、来なくなったんだと思います。
Q:10歳以上歳が離れているんですね。それだけ離れてるとお小遣いをあげたりは?
むしろ「自分のお金で買いたい」タイプみたいです。でもこっちは買ってあげたいのですが、買ってしまうと「自分で買おうと思ってたのに」と怒られます。末の弟とは2人で遊びに行ったりしますが、上の弟とは仲が良いとは言えないです。
Q:なぜ……?
歳の差が2歳なので、もともと喧嘩も多くて。めっちゃ追いかけて口喧嘩したりしていました。
Q:さすがの尾方選手も、口喧嘩では早口になります?
いや、このペースで……でも口喧嘩なら勝ちますよ。
ゆるっと入って、徐々に上がる
Q:尾方選手はもともと陸上出身、100mでインターハイに出場したと伺いました。ベストタイムは?
12秒4くらいでした。陸上の時はスタートが遅くて、50mから伸びていく感じでした。最終的に100mのところで良い感じのタイムになります。やっぱり得意なのは短距離ではあるけれど、200や400も走ってはいました。
Q:陸上と自転車とで、自分の特徴が似ていると思う部分はありますか?
自転車で得意なのは逃げで、まくりは外に振られちゃうことが多いのであまり好きではないです。前に出きれたら勝てるレースが多い……グレードレースは別ですけれど。
自転車と陸上と特徴が似ていて、自分がスピード乗り始めるのが(最終周回の)2コーナーくらいです。残り半周はそのスピードが保ちます。そういう意味でも逃げの方が自分の強みを出せるなと思っています。
Q:高校時代は元競輪選手(長船浩泰さん)の家に下宿をしていたとの情報があります。
長船さんはもともと女子陸上部のマッサージを担当してくれていました。顧問の先生が複数の場所に予約を入れていたのですが、そういった場所のひとつでした。長船さんのところが一番上手だからみんなそこに行きたがっていたんです。
うちの学校には寮生が多く、寮が嫌な自分を含めた人たちが「下宿にしない?」と話し始めた結果、長船さん夫婦が家を借りて下宿所を作ってくれて、たまたま自分と先輩の2人がそこに入ることになりました。
Q:それは陸上部のスーパーエースだったから、とかですか?
そういうわけではないです。ずっと「早く寮を出たい」と話していて「だったらおいで」と言ってもらった形でした。
Q:寮はなぜ嫌だったのでしょう?
学生寮にしては珍しく1人部屋なのは良かったのですが、他の学校の人たちもいる寮でした。同級生も3人と少なかったこともあります。2人は部活が私とは別で仲が良かったですし、それに毎日3階まで登り降りしなくちゃいけなくて……ちょっと居心地が良くなかったです。
やるって言ってないのに……
Q:そうして長船さんの元で下宿する中、熊本競輪場で自転車に乗ったのが競輪への第一歩だったんですよね?
「やる」って言ってないのに長船さんに連れて行かれたんですよね。そこに長船さんの兄弟弟子、熊本の仲山桂さんがいて「自転車はこうでこうだから簡単な気持ちじゃできないんだぞ」と説教みたいに言われて……やるって言ってないのに(泣)
Q:やるって言ってないのに(笑)
「やるって言ってないのになあ……」って思いながら聞いていましたが「はい、じゃあ乗ってみろ」と言われて始まりましたね。
最初は大学を受けずに選手になるか?と聞かれて「いや、競輪選手にはなりません」って答えたんです。宣言通り、その後一度大学に入りました。
Q:どのような専攻でしたか?
熊本の大学で管理栄養士のコースに通っていました。1年生の単位を取るところまではやれたけれど、2年・3年のところで休学する形になりました。
Q:一度は大学進学したもののまた競輪に引き摺り込まれたわけですね。
大学でキックボクシングをしたくて道場を探してきたんです。それを長船さんに伝えたら「体を動かすのなら競輪をしろ」「競輪でもいいじゃないか」と……
どんな流れだったかは覚えてないのですが1kmを計ることになって、いつの間にかキックボクシングへの道は無くなっていました。
Q:そうやって競輪の世界に入って、今やガールズケイリンのトップ選手。振り返ってみれば感謝、という感じでしょうか?
うーん、半々です。選手じゃなかったらもっと別の人生があっただろうなと思うし、一方でこれだけ自由な暮らしができているのは引き摺り込まれたおかげだし……
Q:もし大学に通い続けていたら管理栄養士として働いていたかもしれません。そういう生活にどこかで憧れがありますか?
それはあまりないです。管理栄養士の大学に行ったのは、下宿先の奥さんが管理栄養士だったことに影響されたからです。もっと元を辿れば、警察官になりたいと思っていました。
Q:結構あっち行ったりこっちへと(笑)
高校卒業時に警察の採用試験を受けようと思ったけれど、警察官になるには大学に行った方がいいと聞いたので進学することにしました。そのときに「大学でやりたいことがあるわけじゃないし、じゃあ管理栄養士で」という感じでしたね。