2020年へ2年を切り、あらゆるスポーツ業界が東京オリンピックを目標に突き進む。しかし、スポーツ選手の人生はそこで終わらない。2020年は通過点、一つの起爆剤だ。

ドリームシーカーを立ち上げ、自らも東京オリンピックを目指し、競輪界のトップ選手であり続ける新田祐大選手。トップアスリートだからこそ見える世界、会える人、聞ける言葉がある。今、新田祐大の眼は何を映しているのか。

東京オリンピック後を見据え、Dream Seeker設立の経緯

2020年の先を見据え

ドリームシーカーを立ち上げた背景には、2020年の東京オリンピックに選手として出場できるようにドリームシーカーを活用していくためです。ただ、2020年以降も視野に入れた時に何をすべきなのか?東京オリンピックの前から、しっかりと形作りたいとも思っているんです。

ドリームシーカーの2本柱は“東京五輪に出場し、メダルを獲ること”、もう1つが“東京オリンピック後に、若手の育成など社会貢献として還元する”というものです。

チームの目的は、オリンピックと社会貢献

ドリームシーカーには何人かの選手が所属をしていますが、全員が東京オリンピックを目指している訳でもありません。僕、深谷知広小林優香長迫吉拓和田真久留は東京オリンピックを目指していますが、浅井(康太)さんはオリンピック出場が目的ではないものの、トラック競技で世界と戦おうとしている人です。

ドリームシーカーのメンバーは基本的に、僕が目を付けた選手をリクルートしてきます。もちろん自分から「入りたい」と言ってくれる人もいるのですが、入りたい理由がドリームシーカーの方針である“東京オリンピックを目指す”や“社会貢献”に当てはまらない事もあります。「公営競技の競輪で強くなりたい」という目的で来る人の方が多く、ドリームシーカーの目的はそこだけじゃない、という事はしっかりと話しをして理解してもらっています。

高校での講演活動

トラック競技で強くなる結果、もちろん競輪が強くなるという事もあります。ドリームシーカーへ入る目的が競輪で強くなる、でも良いのですが、「じゃあ競技はやらなくても良いので、若手育成などの社会貢献といった形で尽力して欲しい」と伝えると「余計な時間は使いたくない」と言う人もいます。意外とそういった時間が強くなるために必要な時間なのですが、それに気づいてもらえないことが多いです。

深谷知広選手の加入

深谷知広選手

深谷には僕から声をかけましたが、ドリームシーカーへ入り、自転車競技で東京オリンピックを目指すと決意するまでの行動は、彼自信が興味を持って動いた結果です。

以前に彼がナショナルチームから離れてしまった理由が、彼の理想とするチームではなかったのではないかと思い「チームを自分たちで作ることができれば、大変かもしれないけど自分たちの色でチームを染められる」という話をして、それで凄く興味を持ってくれたのだと思います。

結局、深谷はDream Seekerを立ち上げてから約1年後に加入となりましたが、加入する前も、自分で2016-17トラックワールドカップのロサンゼルス大会へ観に来たり「大会はこうでしたね」とか話をしてくるんですよ。それで「そこまで興味があるなら、やってみたら?」と話をしたところ「じゃあお願いします」って。そんな馴れ初めでした。

話が脱線しますが、深谷は“深谷商会”とも呼ばれています。僕はLOOKのL96というモデル(2012ロンドンオリンピック時代のモデル)に乗っていたのですが、それを見た深谷選手が「いつ新しいフレームを出すんですか?」と。「いや、これしか持ってない」と言ったら「え?冗談ですよね?」って。あれよあれよと後押しされ、気づいたら100万円くらいのフレームを買わされていました。これが深谷商会です(笑)

ドリームシーカーはナショナルチームの実験場

ドリームシーカーは、ナショナルチームで出来ない事を試す実験場だと思っています。ナショナルチームで実験的な事を行うのはなかなか難しいですが、実験も必要な事です。なので、僕らが色々と試し、それをナショナルチームへと還元していく、そういった相関関係があります。

夢追い人”Dream Seeker”