通学用ロードバイクから始まった

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山本のためだけの自転車部

Q:その後、その自転車部は続いてるんですか?

いや、廃部になっているはずです(笑)先生にも「これ以上部活は増やせない」と言われていて、顧問もいなかったし……最初から「お前が卒業したら終わり」って話でした。「勧誘もするな」とも言われたんですが、勝手に勧誘してましたよ(笑)

Q:高校時代、周りからはどういう反応でした?

いや、ド陰キャだったので(笑)テレビとか新聞とかに載るようになってからは反応をもらうというか、目立つようにもなりましたが、それまでは特に何もなく……「なんかやってるな〜」くらいだったんじゃないかと思います。

Q:子どもの頃はどんな子どもだったんですか?

小4くらいまでは明るかったんですけど、だんだん根暗になっていって(笑)

Q:さっきから陰キャとか根暗とかよく言いますが、何かエピソードとかあるんですか?

エピソードは特にないですけど……(笑)クラスの端っこに追いやられているヤツだったと思います。発言しない人、でした。特に虐げられるわけでもなく、持ち上げられるわけでもなく……

Q:部活ができるまでは帰宅部という扱いだったんですか?

そうですね、部活の仲間、みたいな繋がりはありませんでした。でも仲の良い友達はいましたよ!

Q:スキーを始めたのも2年生の時?

そうですね、それくらいの時です。下手でしたが体力でカバーして……インターハイで80位くらいでしたね。

山本哲央

陰キャ……? ※これはカメラマンにやらされています※

Q:ロードバイクを始めるにあたり、通学に使うにしても高価ですよね。親御さんはスルッとお金を出してくれたんですか?

定期代が、3年間計算すると15万円くらいだったんです。ロードバイクは8万円くらい。「全然ロードの方が安いじゃん!」と思って親と交渉しました。「雨でもチャリで行けるのか?」とか言われたのですが、全然大丈夫だなって。そんな感じで購入に至りました。

Q:8万円だとロードバイクとしては結構お安めの部類ですよね。

そうですね、最初のロードはジャイアントでした。コンポも下位グレードで……その後でトレックに買い替えて、高校2年の12月くらいからサポートをもらうようになりました。

Q:高校2年の12月というと選抜で優勝する前ですが、何がきっかけでサポートを得るに至ったのでしょうか?

富士ヒルクライムのジュニアで、良いタイムが出たんです。それでサポートをいただけるようになりました。

高校3年生でロードのナショナルチームに加入

Q:ナショナルチームに入ったのはいつからでしょう?

高3の時、ロードでナショナルチームに入りました。ジュニアでカナダのネーションズカップとか、アジア選手権も経験しています。

カナダでは、すごくゴツいスプリンターがロードを走っていたのが印象に残っています。あのガタイでロード走って、スプリントでバンバン勝ってましたね。今はイスラエルのコンチネンタルに入ってるライリー・ピクレル(Riley Pickrell)という選手でした。

編集部がインタビュー後に調査したところ……確かにロードっぽくない体格の選手でした。

Q:トラックのナショナルチームに入ったのはいつからでしょう?

2021年12月にセレクションがあり、それが終わった翌1月から練習に参加し始めました。

チームパシュートでは4走を担う

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