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橋本聖子 オリンピック出場歴
1984 | 冬 | サラエボ | スピードスケート | |
1988 | 冬 | カルガリー | スピードスケート | |
夏 | ソウル | トラック | ||
1992 | 冬 | アルベールビル | スピードスケート | 1500m銅メダル獲得(日本人女子初) |
夏 | バルセロナ | トラック | ||
1994 | 冬 | リレハンメル | スピードスケート | 3000m6位入賞 |
1996 | 夏 | アトランタ | トラック |
夏季オリンピックでメダル獲得はならなかったものの、1988年ソウル大会では1kmTTで1分14秒300の日本記録、1992年バルセロナ大会では3000m個人パシュートで3分51秒674の日本記録を達成。当時の日本女子トップ選手だった。
これらの活躍も後押しし、2013年にはJCF(日本自転車競技連盟)の会長にも就任。日本の自転車界を支える人物のひとりとなっている(現在の会長は佐久間重光氏)。
JCF 「会長のご挨拶(橋本聖子)」、JCF「令話元年・2年度役員名簿」
世界から注目された時代
スピードスケートの成績が輝かしいこともあり、自転車トラック競技の選手だったことがあまり知られていない、橋本聖子氏。
余談となるが、中野浩一氏がスプリントで世界選手権10連覇を成し遂げたのは1977年から86年。橋本氏はその後継世代にあたる。中野氏の活躍によって日本の競輪が注目され、ケイリンがオリンピック種目として採用されたのが2000年シドニー大会。橋本氏が自転車トラック競技の選手として活躍したのは、ちょうど日本のトラック競技が世界から注目を浴びていた時代だった。
トラック競技を、そして輝かしい時代を知る人物が組織委員会の新会長となった。これを期に自転車競技に関心を持つ人が増えれば、喜ばしいことだ。