2024年に日本競輪選手養成所の127回生として入所した市田龍生都。
市田佳寿浩元選手を父に持ち、全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)では3冠を2年連続達成するなど鳴り物入りで入所。入所直後の記録会でゴールデンキャップを獲得するなど、前評判にふさわしい成績を残し、史上5人目となる早期卒業を成し遂げた。
本日(12月23日)早期卒業証書授与式が実施され、デビューは1月4日 松戸競輪(F2)となることが発表。
本記事では、早期卒業決定の直後に実施した、市田龍生都“選手”のインタビューをお届けする。
※本インタビュー時点では、デビューの日程は未決定。
最初の記録会で資格を得ることだけを考えた
Q:早期卒業、おめでとうございます。率直な気持ちは?
入所当初から目指していた目標なので、嬉しいですね。
Q:振り返ってみると、最初の記録回でゴールデンキャップを獲得、早期卒業基準タイムもクリアしましたが、狙っていた?
1回目で早期卒業の資格を得る、ということしか考えていなかったです。2回目の記録会に向けて気持ちを作っていくよりも、最初から強い想いを持って臨んだほうがいいと考えていました。
Q:結果として6月14日時点で「早期卒業候補」に選出。もちろん注目もされただろうし、難しい部分もあったのでは?
注目が高まっていることはもちろん感じました。ただ、大学の時から、ありがたいことに大会でいい成績を残させてもらっていたので、注目されるということに慣れている部分はありましたね。
それと、今回生は向上心が強くみんな距離も近いので、自分にいろいろ聞いてきてくれたり、自分が教えてもらったりしながら一緒に練習に取り組りくむことができました。やりにくさという部分も感じなかったです。
Q:2回目の記録会でゴールデンキャップを決めたとき、すごくホッとしたような表情をしていたのが印象的でした。
2回目の記録会は全日本選手権の直後の実施だったのですが、大会の前に体調を崩してしまって、というなかで挑んだものでした。1回目でゴールデンキャップと早期卒業タイムをクリアしたのに、2回目で成績を落としてしまったら恥ずかしいなとは思っていたので、そういう表情になったのかもしれません。
仲間との別れを想像し泣きそうに
Q:養成所でやり残したことや、心残りは?
特にはないですね。あ、でも“養成所で1日中寝る”という生活をしなかったのは心残りかもしれない(笑)。
Q:どういうことですか?
日曜、訓練がないときに回復のために1日寝て過ごす人もいるんです。それはやってみたかったなと思います。僕はストレッチしたりバンクに行って周回練習したり、みんなと競輪見てレースについて話をしたりという生活だったので。
Q:それだけ仲が良い仲間たち離れるのは寂しいのでは?
寂しくはありますね。男子70人、すごく個性的なメンバーでした。早期卒業が決定したとき、「みんなと一緒に生活することはもう二度とないんだろうな」思ったら悲しくなりました。先日も「みんなとバカできるのは1週間ないんだよね」って話をしていて、泣きそうになりましたね(笑)。
Q:決定の通知はどのようにされたんですか?
発表される日が決まっていて、受かったらほかの候補生たちと式典(早期卒業証書授与式)のリハーサル、ダメだったら別のカリキュラム、という予定でした。
その日の午前中に職員の方から呼ばれて、たくさんの先生方と一緒に会議室に行き、そこで合格を言い渡されました。会議室に向かうとき、「(大人数での移動が)ドラクエみたいだな」と思ったのを覚えています(笑)。
そのまますぐにリハーサルが始まったことでみんなも合格とわかってくれて、「おめでとう!」と声をかけてもらいました。
Q:泣いてる候補生とかいなかったですか?
いなかったです。薄情な連中ですよほんと(笑)。
よく一緒に自主練習をしていた自治会長の中田候補生から、「おまえ本当にいなくなるのか?」とは言われましたね。「まだお前に教わってないことがいっぱいある。今度の日曜はバンクに行こう」と言ってもらいました。