少年時代から憧れていたという夢の舞台「オリンピック」をパリ2024で経験した中野慎詞。
チームパシュートへの出場を経て、ケイリンでは決勝まで駒を進め、人生初の“オリンピックのメダル”まであと僅か2秒という場面で落車。夢の舞台への挑戦はアクシデントで幕を閉じることになった。

しっかりと実力を示した中野は「これまでで最高の精神状態」で挑んだという最高峰の舞台で、「究極のゾーン状態」に達した。
パリの舞台での闘い、その背後にある物語をインタビューベースで伝える。

「早く爆発させたい」

Q:まずは憧れのオリンピックの舞台でしたが、率直にどうでしたか?

準備段階はすごく緊張しました。ルーベでの事前合宿とか、そのもっと前からも「もう嫌だ、こんなに緊張したくない」っていうくらい緊張していましたね。
でもレース当日は「早く爆発させたい」とポジティブな感情で迎えられました。失うものがなかったというか、最高峰の大会でもあるし「行くしかない」と思えました。

Q:本番でそういう気持ちになるのは難しいことだと思います。そう思えたのは、どういう理由からだったのでしょうか?

やることが決まっていた、というのが大きいと思います。イメージトレーニングもしてきましたし、『ジャパントラックカップ I / II』でもオリンピックに向けたレースができていました。自分の長所を活かすための準備をしっかりとしていたので、本番は問題ないな、と思っていました。

チームパシュートへの出場で得たもの

Q:チームパシュートにも出場しましたが、それは良い方に作用しましたか?

はい。ケイリン1本に集中する、ということがベストなのかもしれませんが、チームパシュートを走ることが決まったからにはケイリンにも繋げたいと思っていました。

チームパシュートは綺麗にペダルを回して、綺麗に走る必要があると思っています。「綺麗に走る」ためには、上半身の力を抜いて走ることが重要なのですが、練習を通して”それ”を身につけることができました。その結果、ペダリングの精度が高くなってケイリンでも力みがなく先行できるようになったという感覚があります。

Q:本来の持ち場とは異なるチームパシュートでの出場に対して緊張はありましたか?

緊張しましたね。大会で走るのは初めてでしたし、バンクのコンディションが良いなかで、どうやってペースを掴めば良いのかもわかりませんでした。

実際、普段と同じペースで回しているつもりだったのですが、最初の半周を14秒00〜20で入らなくてはいけないところを13秒6で入ってしまい、「まずい」と思ってニュートラルに入れて緩めたら13秒3。
今村さんに「暴走してたら後ろから声かけてください」と伝えていたのですが、当然「速い!」と声をかけられて、そこから13秒8に一気に緩めてしまいました。

その原因は自分の調子の良さもあったと思います。

僕は1kmで隊列から離脱したのですが、その1kmのタイムが1分01秒くらいでした。自分の1kmのベストタイムよりも早いタイムだったのですが、全然キツくなかったんです。流した感じでこのタイムが出て、まだまだ踏めるような感覚でした。降りた後も平気で歩いていけるくらいでしたので。

とはいえ、チームにとってよくない走り方をしてしまったんじゃないか、と申し訳ない気持ちはありました。

Q:理想はジワジワとペースをあげていくことだったけれど、後ろについているメンバーにとってはかなりのハイペース、そして安定していなかった、そういうことですね?

自分は1kmで終わりですけれど、みんなは残りの3kmを維持しなくてはいけません。レース後、ダニエル(・ギジガーコーチ)に謝りにいきましたが「全然問題ない。ベストだ」と声をかけられました。
予選をあがることを考えたら、あのペースじゃあがれないから、と。

最高の精神状態で臨んだケイリン

Q:ケイリンは、1回戦:2着、準々決勝:4着、準決勝:3着で決勝進出となりました。ストレートでの勝ち上がりでした。結果論ではありますが、ある程度着順を拾うようなレースは事前に意識していましたか?

基本的には全てのレ―スで1着を取るために走りました。展開によって異なる結果はありましたが……自分は先行する選手なので、1着を狙いに行かないとレースを作れないし、主導権を握ることもできません。拾うレースができるタイプではないので、あまり考えずに全てのレ―スで1着を取るつもりでいきました。

Q:1回戦で2着に入り、準々決勝進出が決まった時の心境はどうでしたか?

ゴールした後、喜びが爆発するわけではなく、緊張感が残っていました。そのときに、あらためて「自分はメダルを目指してるんだ」と思いましたね。翌日に向けて早く帰ってケアして、ということを考えていました。

Q:日が明けて勝負の日。準々決勝では4着となりましたが、残るべくして残った、という感じですか?

ちょっとラッキーもあったかなと思います。自分から動きましたがハリー・ラブレイセン(オランダ)がすぐ後ろにいて、2人を引き連れてあがっていきました。「うわっ」と思ったんですけれど、ニコラス・ポール(トリニダード・トバゴ)がついていけず諦めていました。自分で動いたからチャンスが生まれた部分もありますが、他が諦めてくれてラッキーもあった4着だなと思います。

でもレース前にジェイソン(・ニブレットコーチ)から他の選手の動きや展開が伝えられ、それを頭に入れたうえで、しっかりと余裕を持って周りが見えていました。これまでで最高の精神状態でレースに臨めていたと思います。

「ギアの音が聞こえる」準決勝で訪れたゾーン

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