2023年8月、パリオリンピック前最後の世界選手権が終了した。この大会の後、ナショナルチームを離れることを決断したのは寺崎浩平。マディソン等の中長距離種目で活躍していた学生時代を経て日本競輪選手養成所新体制初の早期卒業生としてデビューし、トラック競技でもオリンピック出場を目指し励んできた。

寺崎が世界選手権で感じたものはなんだったのか、何が決断の決定打となったのか。福井&ナショナルチームの先輩である脇本雄太も乱入し、寺崎の「これから」を探っていく。

日本の競輪に抱く、新鮮な「楽しさ」

Q:ナショナルチームおよび強化指定選手から籍を抜くこととなりました。その決断はいつのことだったのでしょう?

世界選手権の後……厳密にいうとオールスターを走って、だったと思います。オールスターを走る前はまだ競技の世界で頑張ろうという気持ちがあったのですが、オールスターを走ってみると、めちゃめちゃ日本の競輪を「楽しい」と感じました。

それで「競技は潮時なのかな」と思ってしまって。そこで決心した感じでしたね。

Q:世界選手権の結果ももちろんあったけど……?

はい、もちろんそれもあったけど、「楽しかった」が強かったです。それで踏ん切りがついた感じでした。もともとその時「やるのか、やらないのか」とすごく迷っていたこともあります。

脇本:わかるよ、それ。

共感する大先輩

Q:大先輩がなにか言っていますが(笑)それはそれとして、選考としてまだ2024年のネーションズカップが残っているので、チャンスが完全に無くなったわけではありませんでした。

そこも把握はしていました。でもネーションズカップの結果で選考のテーブルに上がるなら、最低でも金メダルを獲る必要がある。それも2つ。そういう話をされて、現実的に考えて……子どもも生まれて家も建てる予定で、そういう状況も踏まえて考えた結果「潮時かな」と判断しました。

Q:いろいろなタイミングが重なったんですね。

はい。

Q:世界選手権ではマテウス・ルディク(ポーランド)を追い詰めて「あと一歩で倒せる!」というところまで行きました。そういうことも踏まえると残念に感じてしまうところですが、未練などは?

未練は……すごくありました。ジェイソン(・ニブレット短距離ヘッドコーチ)に「お前がルディクを格上として見ていなかったら、お前は勝てた」と言われたのですが、言われてみればレース中はそういうふうに(格上として)思っていたな、と……

ルディク戦後、なぐさめられる寺崎

いろいろ「もうちょっとやれた」と思う部分はあります。でもケイリンに出られなかった時点で「なんかなあ」という部分がありました。そこが一番大きいかもしれません。

Q:ご自身としては「ケイリンの方が得意」とおっしゃてたのに、スプリントばかり走っていましたもんね。

なんだかんだスプリントの方が結果が出るんですよね。

Q:ナショナルチームには2020年くらいから関わっていると思います。振り返っていかがですか?

去年(2022)のシーズンが僕の中でベストのシーズンだったなと思います。世界選手権の決勝、思い出深いアジア選手権……だからこそ今シーズンでもっとやれたと思うのですが、オリンピックが近づくにつれ他の選手も仕上がってくるから、なかなか難しいですね。去年の結果が今年出ていたら良かったなと思います。

Q:これから競輪の世界に戻って「元ナショナル組で盛り上げていこう」というような想いはありますか?

元ナショナル組としては松井(宏佑)さんとか新山(響平)とかもいますが、ナショナルを離れて競輪で結果を出しています。僕だけ結果を出せないのもアレですし、プレッシャーとか、ライバル視してるような部分はあります。

Q:地元の大先輩、脇本雄太選手の前と後ろ、個人としてはどっちがやりたいですか?

(笑)相手によりますかね。相手が発進タイプなら僕が前にいる意味もあると思いますけれど、そうじゃなかったら普通に脇本さんが走った方が結果は良いと思います。

ワッキー乱入!近畿で寺崎が担うもの

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