一緒に走れば、年齢は関係無い

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小学生の時からなりたかった「競輪選手」

Q:ジュニア時代にはトラック競技でインターハイ優勝・アジア選手権(アジアジュニア自転車競技大会)で2位入賞のご経験もありますが、競技を続けようと思われなかったんですか?

そこまで無かったですかね。小学生の頃から、とにかく「競輪選手になりたい」という想いが一番大きかったので、競技を続けていく気持ちは無かったです。ナショナルチームへの入り方もわからなかったですし、当時は今ほど競技色も強くなかったので。

Q:当時と今で、トラック競技界の変化を感じますか?

デビューから7〜8年しか経っていませんが、この2~3年でレースの形態が変わりました。練習などでも、ナショナルチームの人に話を聞いて行う内容もあります。今年は東京2020オリンピックもありましたし、競技色が強くなった気がします。

Q:ナショナルチームのメンバーとの交流はありますか?

1つ年上の新山(響平)さんとは高校時代から交流があります。すごく穏やかな人ですね。

新山響平, 1kmTT, 2021全日本トラック

新山響平

リスクすら帳消しにする、勝ちの感覚

Q:自転車を始めたきっかけは何ですか?

自転車競技を始めたのは、小学校4年生の時です。現役の競輪選手も参加してくれるキッズ向けに開催された自転車教室で、初めてバンクを経験しました。すごく面白くて、すぐ地元のクラブに通い初めました。

小学生なりにタイムトライアルでは速さを出せたし、すごいスピード感を味わえたんですよ。角度のあるバンクを走れる気持ち良さも覚えています。

Q:怖さは無かったんですか?

最初は無かったですね(笑)

Q:落車した時とかの記憶はあります?気を失ったりとか。

コケて、歯が抜けたことはあります。それこそ競輪学校(現:日本競輪選手養成所)への入学が2週間遅れたことがあります。周回練習で前の人に乗り上げて、前歯が2本抜けました。

あまり大きい怪我は今までしてこなかったので、これからもなるべくしたくないですね。強い選手は怪我にも強い。怪我は言い訳にはできないと思っています。

Q:競輪選手になるという夢が叶った時、どんな風に思いました?

(競輪学校の)合格発表で嬉しかった気持ちは、今でも忘れません。「やっとスタートラインに立てた」というか。競輪選手になるために高校を卒業する必要があるので高校に行きましたし、普通に生きていたらどうなっていた事か……。

とにかく1秒でも早く競輪選手になりたかったんで、高校卒業と同時に競輪学校に行けたのは嬉しかったですね。全身から力が抜けるほどホッとしたのを、今でも覚えています。

Q:小学生の頃の清水選手のように、子ども達が競輪選手を目指す上で、競輪の魅力や良い所はどこですか?

自分が頑張った分だけ返ってくる事ですかね。怪我などのリスクもありますが、それを帳消しにできるほどに勝った時は嬉しいです。

非日常というか、普通に生きてたら味わえない感覚を味わえます。怪我も、普通に生きていたら無いんでしょうけど。頑張りが報われたときに、全ての苦しみを忘れてしまう。競輪には夢があります。上を見れば、夢しかないです。

競輪選手に成りたいのであれば絶対に成った方が良いと思いますが、一方で強い気持ちが無いと続かないとは思います。

清水裕友, 第64回オールスター競輪・いわき平競輪場

Q:憧れの佐藤慎太郎選手は45歳。いくつまで選手を続けたいですか?

デビューした時に、「太く短くやりたいな」と思っていました。40歳までは頑張ろうと思ってます。40歳までに燃え尽きたいですね。

Q:グランプリで優勝したとしても燃え尽きませんか?

燃え尽きません(笑)自分には、足りないことが多すぎます。自転車も、無限にやりようがある。正解も見つからないのですが、今はそれが楽しいです。

Q:グランプリではどんな走りがしたいですか?

2021年の集大成として、今持っている自分の力を迷わず全て出し切れるように頑張ります。