平成のトラック競技に大きな影響を与えたのはアワーレコードだろう。アワーレコードとは、単独で1時間の間にどれだけバンクを周回出来たのかを競う種目である。UCIポイントなどは特に関係なく、選手自身の腕試し的な位置付けにある。

なぜアワーレコードが平成の中でビッグムーブメントなのか。アワーレコード変遷の背景と共に紹介していく。

1990年〜記録更新争いとその変遷

近代のアワーレコードで顕著なのは1972年にエディ・メルクス(ベルギー)が記録した49.431km。その後、「ファニーバイク」と呼ばれる前後大きさの違う車輪の自転車を使用たフランチェスコ・モゼール(イタリア)が初の50km/h台を記録。日本が平成に入った頃から世界でアワーレコード争いが激化した。

グレアム・オブリー(イギリス)が1993年に挑戦した際は洗濯機や廃材を溶接して自転車を自作し、通称「オブリーポジション」と呼ばれる奇抜なフォームで記録更新(51.596km)。

しかし、その1週間後にクリス・ボードマン(イギリス)が52.270kmを記録。翌年には「スーパーマン」と呼ばれる新たなフォームで再び挑戦したオブリーが52.713km。その2年後にボードマンが56.375kmで更新。これらの空気抵抗削減を追求した争い以降、ロード/トラック界でもカーボンフレームが主流となり機材の進化も著しく発展していく事なった。

UCIによる大きな改正