脇本雄太選手の優勝で幕を閉じた『第41回全日本選抜競輪(G1)』。
舞台となった熊本競輪場は、2016年4月の熊本地震で被災し、長期休止を余儀なくされた。
その後、再整備工事を経て2024年7月にリニューアルオープン。今開催は、復活後初にして、約14年ぶりのG1開催だった。
「ここからがスタート」
4日間合計で約3万人、最終日は1万人以上の来場者数を記録するなど、連日多くの来場者でにぎわった熊本競輪場。場内駐車場エリアには飲食ブースが並び、家族連れや若いファンの姿も見られた。
地元勢は決勝の舞台に乗ることはできなかったが、地元選手には特に多くの声援が送られ、「応援が力になった」と口々に選手たちは語っていた。来場していた地元ファンの一人は、「またここでG1が見られるとは思わなかった。時間はかかったけれど、戻ってきてくれて嬉しい」と話してくれた。
熊本選手会が出店していたブースも、多くのお客さんが立ち寄っていた。ブースに立っていた熊本支部最年長選手・倉岡慎太郎選手に話を聞くと、こんな言葉を語ってくれた。
倉岡慎太郎選手
Q:復活となるG1開催、地元選手として感慨深い思いもあるのではないでしょうか?
多くのお客さんに来場していただいているのを見て、ここまで来られたんだとあらためて実感しています。
普段はミッドナイトやモーニングでの開催も多いですが、今回は昼間開催のG1。これだけお客様に入ってもらえると、選手たちは全然気持ちが違うと思います。裏方である僕たちにとっても特別。お祭りですよ。
Q:ここまでの道のりは長かったですか?
長かったですね……でも、長かったからこそ、この日を迎えられた喜びも大きいです。若い選手たちも、この雰囲気を味わってやる気になると思います。みんな出たいっていう気持ちになってくれたらいいと思います。これが新たなスタートになったら良いですね。
深谷知広「“光のない競輪場”を歩いたのが……」
脇本雄太選手が優勝インタビューにて「熊本のお客さんの声援はすごく熱くて、その熱さに魅了されています」と語っていたが、他地区の選手にとっても、今開催は単なる一戦ではなかった。
中でも、深谷知広選手は震災直後から熊本復興支援に積極的に関わってきた選手のひとりである。
チャリティーオークションの開催や現地イベントへの出演、世界的な選手たちのサイン入りフレームの寄贈など、継続的に熊本への想いを発信・復興支援を実行してきた。
そんな深谷選手に、最終日のレース後に話を聞くことができた。
Q:4日間、多くの人が詰めかけた開催となりました。復興支援としてさまざまな動きをしてきた深谷選手は、どう感じましたでしょうか?
記念(2024年『大阪・関西万博協賛 火の国杯争奪戦』)で走った時に人が戻ってきたのを感じていて、この開催もすごく楽しみにしていましたが、比べ物にならないくらい人が入っていて……普段競輪場に来ることがないお客さんも多かったと思いますし、競輪場の雰囲気を感じてもらえてたら良いですね。
Q:深谷選手が地元選手に匹敵する声援を受けていたのも印象的でした。
みんなの気持ちの中に、少しでも残っていてくれたのなら嬉しいですね。
Q:あらためてですが、復興支援をされていたのはどういった想いからだったのでしょうか?
震災によって、熊本は競輪を開催できない場所になってしまった。じつは、震災の後に一回この場所に見にきたことがあるのですが、“光のない競輪場”を目にしたのがすごく印象に残っていて……自分にできることは多くはないですけど、なにかできたらなと思ったことがきっかけです。
Q:そういったたくさんの方の想いが詰まったこの開催だったと思います。
ようやく、始まったんじゃないかなと思います。これをきっかけにさらに加速してくれたら嬉しいです。
ひとつの節目であり、新たな始まり
震災から約10年。熊本競輪場は再びG1を開催できる舞台となった。しかし、倉岡選手も深谷選手も、“先”を見据えていたのが印象的だ。
この開催は、過去を振り返るためのものではない。2026年は同じ九州の長崎でもG1開催が控えている。熊本競輪場のさらなる発展、そして九州の競輪のさらなる盛り上がりに期待したい。
