【男子編】注目の候補生にインタビュー

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競技も続けていきたい 大塚城

大塚城(静岡)

中学までバスケをやっていて、高校から自転車競技を始めました。進路選択の時に地元に自転車競技部があることを知って、お父さん(英伸 82期)も選手ですし、ちょっとやってみようかなと思った形でした。

Q:ということは、その時はそこまで「競輪選手になるぞ!」という感じではなかった?

はい。「とりあえず初めてみよう」という気持ちでした。競輪選手になろうと気持ちが固まったのは高3の夏。結構ギリギリに受験の申し込みをしました。

Q:養成所に入らなかったとしたら、どのような進路を進む予定だったのでしょう?

大学からオファーが来ていたので、大学に入って自転車競技を続けようと考えていました。入所のタイミングを早めたことにこれといった理由はないのですが、お父さんに憧れて「競輪をやってみたいな」という気持ちが強くなったことはあるかなと思います。

競輪という職業はカタカナのケイリンと違い、横の動きがたくさんあって難しいことが面白いなと感じます。好きな選手もやっぱりお父さんですね。

Q:お父さんのレースで印象的だったものはありますか?

最近のレースなんですが、S級であまり調子がよくない中、決勝に乗れた時がありました。最後まで頑張っていたところがかっこいいなと思いました。お父さんは今40代半ばですが、自分もそのくらいの年齢まで長くS級で活躍できる選手になりたいなと思います。

Q:入所してしばらく経ちましたが、ここまで過ごしていかがですか?

入所初日は携帯が使えないことがすごく辛くて。でも他の候補生や先輩たちと色々おしゃべりするようになって、携帯がない生活にも慣れてきました。楽しく生活させてもらっています。

Q:携帯がない生活に慣れるのって、何日くらいですか?

1週間くらいですね。いつもLINEとかYouTubeとか見ているので、初日は死にそうでした(笑)

Q:これまで競技も頑張ってきましたが、これからはどのように付き合っていく予定ですか?

競技も続けたいと思っています。競技は好きですし、今後ナショナルに選ばれることがあれば頑張っていきたいなと思います。

Q:そうなると、まずはゴールデンキャップですね。

獲れたら本当に嬉しいです。ハロン(200m)と400mのタイムトライアルは自信があるんですが、1kmと、特に3kmはあんまり自信がありません。入所前に測った時は4分10秒台くらいで……少しでも地脚をつけて、白帽やゴールデンなど良い色の帽子を獲れるように頑張りたいです。

Q:養成所の受験について、何かエピソードはありますか?

試験用の軽いギアでのペダリングを良くするために、自分は電動ローラーを活用しました。これが効果的だったなと思います。以前のペダリングだと回すだけで脚が痛かったですが、今は同じスピードでも痛くならないようなペダリングができるようになりました。

理想像は「太田海也」 三神遼矢

三神遼矢(福島)

小学校・中学校は体操をやっていて、高校・大学で自転車競技をやってきました。中学3年の時にツール・ド・フランスの動画を見て「かっこいいな」と思ったことがきっかけ。最初はロードレーサーになりたいと思っていました。短距離を本格的に始めたのは大学2年生からです。

Q:競輪選手になろうと思ったのはどのタイミングでしたか?

大学2年生の冬頃から「短距離、走れるんじゃないか」という手応えを掴んできました。そのような中で「自分がどこまでやれるか知りたい」、そして「大好きな自転車でお金を稼げる」という点にも魅力を感じ、大学3年生の6月くらいに「競輪選手になろう」と決めました。

Q:入所してまだ2日くらいですが、ここまで過ごしていかがですか?

生活のルールが多くて、ずっと気を張ってる感じです。リラックスする時間があまりなくて苦戦しているところなんですが、ちょっとずつ慣れていって、この生活の中でも良いパフォーマンスを出せるようになりたいと思います。

Q:理想とする選手像を教えてください。

競技と競輪を並行していきたいと思っているので、岡山の太田海也選手。どちらも頑張っていきたいです。

Q:養成所への受験対策、エピソードなどを聞かせてください。

試験ではカーボンでなくてクロモリの自転車に乗るので、その調節が大変でした。でも実を言うとこれといった対策はしていなくて、クロモリにもあまり乗ってなかったんです。カーボンで全力を出すイメージで本番も臨みました。その分、これからの訓練で苦労すると思います。

目標は父を超えること 市田龍生都

市田龍生都(福井)

幼少から小学校までは水泳、中学は陸上をやっていて、高校・大学で自転車競技をやってきました。

Q:競輪選手になりたいと思ったきっかけは?

きっかけ……と言うより「自然と」と言うのが正しいのかなと思います。よく「どうして高校卒業で養成所に入らなかったの?」と聞かれますが、父(佳寿浩 76期・引退)に「市田佳寿浩という選手を見てきたぶん、覚悟がないならちょっとやめておきなさい。自転車をしたいなら大学に行きなさい」と言われ、大学に進学しました。

柳原真緒、市田佳寿浩

大学3年の時に一時期ナショナルチームに在籍したことで、実力を磨くことができました。学連のトップ選手になれたタイミングで「僕は自転車でしか生きたくない、自転車でしか生きられない、この世界で生きていきたい」という強い気持ちが生まれ、競輪選手になることを決めました。

Q:師匠はどなたになるんでしょうか?

師匠は父です。普通は現役選手でないといけないんですが、親子なら引退しててもOKという裏ルートがあるみたいです。そもそも憧れとしている選手ですから。

脇本雄太さんもすごく憧れで、理想像です。でも目指すところというか、最大の目標は父の走りかなと思います。僕のゴールは「父を超えること」。寬仁親王牌を獲ってKEIRINグランプリに出場、もしくは優勝です。

Q:大きな目標ですね。

でっかい師匠を持ってしまったが故ですね。

Q:養成所への試験対策はどのように行っていましたか?

対策というような対策はしていなかった、というのが本音です。ただ自宅が道場となっていて、そこで大阪や福井のアマチュア選手と一緒にトレーニングをする機会がありました。自分も初心に返って一緒に練習をして、一から「自転車とは何か」「どうやれば進むのか」という基礎的なところを意識づける練習をしたことが受験対策だったのかなと思います。

女子候補生へのインタビューは別の記事で紹介する。

【女子編】注目の候補生にインタビュー 日本競輪選手養成所(JIK) 第128回候補生