現在の競輪ファン、競輪を知る人たちに村上義弘の名前を知らない人はいないだろう。
KEIRINグランプリを2回制し、数多くのタイトルを獲得してきた現代の競輪を象徴する選手だ。
2022年9月29日、報道関係者に対し、村上義弘は選手を引退する電撃発表を行った。
電撃引退発表から1週間ほど経った10月5日、都内の競輪選手会本部で引退記者会見が実施された。競輪選手としての村上義弘からは想像できない朗らかな雰囲気で行われた記者会見では、村上が引退を決意するまでの経緯、これまでの競輪人生について、そしてこれからのこと、様々な質問が飛び交った。
近年の競輪を代表する村上義弘の、引退記者会見の全容をお伝えする。
村上義弘プロフィール
1974年生まれ、48歳(2022年時点)。1994年に京都73期としてデビューして以降、選手生活は28年に及ぶ。
1991年 | 国体 1kmTT4位 |
1992年 | 国体 1kmTT優勝 都道府県対抗競技会 4kmチームパシュート優勝 |
2000年 | ふるさとダービー(G2)豊橋優勝 |
2002年 | ふるさとダービー(G2)弥彦優勝 全日本選抜競輪(G1)優勝 |
2003年 | ふるさとダービー(G2)京都向日町優勝 オールスター競輪(G1)優勝 |
2004年 | ふるさとダービー(G2)福井優勝 |
2010年 | 共同通信社杯春一番(G2)優勝 |
2011年 | 日本選手権競輪(G1)優勝 ★G1連続15回出場 |
2012年 | KEIRINグランプリ2012優勝 |
2013年 | 日本選手権競輪(G1)優勝 ★通算500勝達成 |
2014年 | 日本選手権競輪(G1)優勝 |
2016年 | 日本選手権競輪(G1)優勝 KEIRINグランプリ2016優勝 ★G1連続20回出場 ★最優秀選手賞受賞 |
2018年 | ★通算600勝達成 |
KEIRINグランプリの優勝:2回
G1優勝:6回
G2優勝:5回
『完全燃焼できた』村上義弘あいさつ
村上義弘の挨拶から会見は始まった。
「本日はお忙しい中、また足元の悪い中、私の引退会見にお集まりいただきありがとうございます。
この度、村上義弘は競輪選手を引退することを報告申し上げます。
引退を決めた理由は『競輪選手として心身ともに完全燃焼できたと思えたから』です。
競輪選手になって28年間、ひたすらに『日本一の競輪選手』を目指し頑張ってきました。自分が理想とする日本一の競輪選手には残念ながらなれませんでしたが、自分の歩んできた道のりに後悔はありません。
引退を決意した今日まで、村上義弘は多くの皆様に支えてきてもらいました。仲間、友人、家族、そして何よりも多くのファンの皆様に愛され、誰よりも幸せな競輪人生を送ってきたと思います。28年間、本当にありがとうございました」
弟、村上博幸からの手紙
会見冒頭、村上義弘のあいさつが終わると、紹介されたのは弟・村上博幸から届いた文章。
以下、文章そのままに掲載させていただく。
兄へ
28年間の選手生活お疲れ様でした。
引退すると聞いてから、今までのことが走馬灯のようによみがえってきます。いつものようにピリピリ感を漂わせながら、バンクに来るんじゃないかと思うくらい今でも引退が信じられません。
自分が競輪を始めた頃から兄は強くて偉大な存在であり、「競輪とは」、「競輪選手とは」ということを常に教えてもらいました。競輪に対しての熱意、どんな難局にも立ち向かう精神力、常に持ち続ける向上心、努力し続ける姿勢、様々なことを兄の背中を見て学ばせてもらいました。数々のレースで見せてくれたドラマやカリスマ性、人の心までをも動かす兄の走り、全てが唯一無二であり、今後の競輪界にも語り継がれていくことだと思います。
兄弟での師弟関係は、時として感情が入りすぎることもありましたが、普通の師匠と弟子、普通の先輩と後輩、普通の兄弟とも違う、自分達兄弟でしか成り立たない関係があったからこそ、今の自分があると思います。心から感謝しています。兄の競輪人生の中に少しでも共に過ごせた時間があったことを嬉しく思います。
最後に、
お兄ちゃん、28年間本当にお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
博幸より