「スプリントの皇帝」と呼ばれた男 中野浩一

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日本の競輪から世界のKEIRINに

Photo by Bryn Lennon/Getty Images

中野がスプリント世界選手権でタイトルを獲得し始めたことで「ケイリン」は世界中のサイクリング界から、より一層の注目を集める。これがその後、「競輪」は「ケイリン」として1980年から男子UCI世界選手権種目となり(女子2002年)、2000年から男子オリンピック正式種目となった(女子2012年)。

世界で戦う「ケイリン」は1レース最大7人で行われ、先頭誘導車に先導されながら徐々に加速し、最初の3周を走る。そして残りの3周で、フィニッシュライン直前の最終スプリントのための位置取り争いが行われる。ケイリンは、選手たちの白熱した走り、めまぐるしく動く展開、誰が勝つか最後まで分からない予測不能な部分、そしてレースによる観客の盛り上がりが魅力の種目だ。

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しかしその後、中野はUCI世界選手権のケイリン種目に、90年の日本大会と翌年のドイツ大会(シュツットガルト)と2度出場するが、両大会ともメダルを獲得することはできなかった。世界選手権のケイリン種目で優勝を果たした日本人は、87年のオーストリア大会(ウィーン)での本田晴美ただ1人だ。

中野は現役引退後、競輪評論家として活動することとなった。しかしケイリンが初めて正式種目として開催された2000年のシドニーオリンピックでは、先頭誘導員として自転車に乗り、バンクを再び走っている。

成長し続ける日本ナショナルチーム

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