メダリストの軌跡
オリンピックの自転車競技日本史において、メダルの獲得総数は4つ。そしてそれらは全てトラック競技での獲得ということはご存じだろうか。
先人たちのオリンピックを振り返り、過去と今の違い、これまで成し遂げてきたメダルの意味、そして迫る東京オリンピックをどう観るべきか。
~メダリストの軌跡~
と題して、過去のオリンピックで自転車トラック競技のメダルを獲得した偉人たちを訪ねる。
第2回は2004年のアテネオリンピックでチームスプリントの第2走として出走し、銀メダルを獲得した伏見俊昭(福島・75期)選手。
伏見俊昭プロフィール
1976年生まれ、福島県出身。
2000年シドニーオリンピックの代表に選ばれず「人生で一番悔しかった出来事」と語る。その悔しさをバネに、アテネ銀メダルを勝ち取った。競輪では2001・2007年KEIRINグランプリ優勝。現在もS級1班の選手として活躍を続けている。
本記事は伏見選手へのインタビュー後編。
▼前編はこちら
2ヶ月前はメダル圏内まで2秒
Q:2004年アテネのチームスプリントで銀メダルを獲得しました。当時を振り返ってみてどうですか?(当時のメンバーは第1走:長塚智広/第2走:伏見俊昭/第3走:井上昌己)
本番2ヶ月前の世界選手権は7位で、メダル圏内までは2秒くらいありました。チームスプリントの2秒って逆転はほぼ無理な差です。だからこそ逆に3人とも開き直ってた感じでしたかね。
でも当時、長塚くんのダッシュは世界指折りだったので、「長塚くんのダッシュで3人行ければメダルが獲れる」とも感じていました。
それでもやっぱり2走、3走の力量はちょっと世界には及ばないかなっていう・・・・勝負にならないようなタイムだったので、開き直って練習したこと、そして日本人がチーム戦に向いているような所があると思います。
個人的な意見ですが、1人では勝てないけれど、団体で力を発揮するっていう能力に日本人は特化している感じがします。だからチームスプリントっていう3人で協力する競技で息がピッタリあって、パフォーマンスが最大限に発揮できた。だからメダルが取れたんじゃないかな、と思っています。