メダリストの軌跡
オリンピックの自転車競技日本史において、メダルの獲得総数は4つ。そしてそれらは全てトラック競技での獲得ということはご存じだろうか。
先人たちのオリンピックを振り返り、過去と今の違い、これまで成し遂げてきたメダルの意味、そして迫る東京オリンピックをどう観るべきか。
~メダリストの軌跡~
と題して、過去のオリンピックで自転車トラック競技のメダルを獲得した偉人たちを訪ねる。
第2回は2004年のアテネオリンピックでチームスプリントの第2走として出走し、銀メダルを獲得した伏見俊昭(福島・75期)選手。
伏見俊昭プロフィール
1976年生まれ、福島県出身。
2000年シドニーオリンピックの代表に選ばれず「人生で一番悔しかった出来事」と語る。その悔しさをバネに、アテネ銀メダルを勝ち取った。競輪では2001・2007年KEIRINグランプリ優勝。現在もS級1班の選手として活躍を続けている。
中野浩一さんへの憧れ
Q:伏見選手は、中野浩一さんや坂本勉さんの後の世代です。憧れなどはありましたか?
ありましたね。競輪選手を目指すきっかけになったのが、中野浩一さんだったんです。
小さい時、たまたまテレビを見ていたら、「プロスポーツ選手初の1億円プレイヤー」と取り上げられていました。「自転車ってすごいんだなぁ」っていうのが第1印象で、次第に競輪選手を目指すようになりました。
坂本勉さんを知ったのは選手になってからですが、同じ北日本地区ということもあり、色々アドバイスをして頂きました。
改めて思うと、偉大な方に教わっていました。本当にありがたかったですね。
Q:坂本さんからは、競技のアドバイスも頂いたのでしょうか?
特になかったです。坂本さんは、自分から言うタイプではないので・・・聞けば教えてくれたんでしょうけど、坂本さんはどちらかと言えばスプリント種目専門で、僕はどちらかというとチームスプリントとケイリンを多めにやっていました。そういった点もあると思います。
今思えば「どんな練習をしていたのか」とか「試合に臨む気持ちの入れ方」とか、聞いでおけば良かったなと思います。競輪のことはたくさん教えていただいたんですけど・・・なんで競技のことは聞かなかったんだ、という感じです。
Q:伏見選手から見て、坂本さんはどんな方ですか?
威圧的なところが全然なく、本当に温厚な方です。G1開催に参加していても、黙ってテレビを観ているような方でした。あれこれ言うタイプではなかったです。
Q:では、憧れの中野浩一さんは?
競輪場で話す機会がありますし、プライベートでも多少おつきあいさせていただいています。
中野さんはやっぱり知識が豊富。ナショナルチームの現状や、競輪界のあり方や・・・。親身になって教えてくださいますね。