練習とバイト、深夜までスポンサー探し

長迫吉拓

500社くらいは連絡したかな

今は笑って話せるんですけど、スポンサー探しはすごい大変でした。当時は朝7時くらいに起きて午前中に練習、昼ごはん食べたら新しいスポンサー探しの電話とか色々やって、また午後も練習。17時から22時まではバイトして、帰ってきてから昼に電話した会社へ企画書を送ったり、明日電話する相手の確認とかを夜中までやって、そのようなことを週6日やってました。

当時はそれが疲れると思わなかったんですけど、今考えればすごい生活をしてたなと思います。多分、500社くらいは連絡したかな。

でも話聞いてもらえたのは?

わかんないですけど、100枚以上の名刺はありますよ。

東京じゃ目立てなかった

アポイントは岡山だけじゃなく、東京の会社まで行ったりもしていたんですか?

東京に友達がいたので、そこに泊まって色々回ったりしました。ただ、やっぱり東京は色んな会社があるし、選手もいっぱい居るので、目立てなかったんですよね。その頃、自分に結果が付いてこなかったってのもあったんですけど。

だから岡山に帰り、地元でやった方が目立てるんじゃないかと思いました。

行き当たりばったりから「今回の話は無しで」

スポンサー探しの最初は本当に四苦八苦していました。今考えると失礼なことをしていましたね。

例えば、水とかにも(ラベルに)会社と電話番号が書いてあるから、そこに電話していました。スーパーに行ったら電話番号をただただ見つけて、電話。ずっとそんな感じでしたね。

例えば電話で「企画書送って」と言われて送るじゃないですか。ただ送っても開けてもらえないことは解っていたので、開けさせる工夫というか、例えば封筒に厚紙入れてみるとか、CD入れるとかして、持ったときに「ん?」と思わせる工夫をしていましたね。

一番悔しい、そして申し訳なかったのは、ある大きな食品会社さんが話しを聞いてくれて、良い感じでやり取りをしていたんですけど「なんで弊社なんですか?」って聞かれた時、頭真っ白になっちゃって「理由はないです」って答えちゃったんですよ。信じられないでしょ?で「今回の話は無しで」って。

その時、その会社の商品を食べた事があるかどうかわからなかったですし。それくらい行きあたりばったりでしたし、考えが無かったですね。

今のスポンサーさんには自分の夢を買ってもらえることのほうが多く、僕のスポンサーをしたからと言って、相手に利益が上がるわけではないのが現状です。なので、僕のスポンサーさんにもきちんと儲かってもらえるような男になることがひとつの目標です(笑)

お金をいっぱい稼ぎたい、とかはあるんですか?

欲が無いわけではないんですけど、まずは遠征費を確保し、自分のオリンピックに向けて必要なことを優先してます。

・・・後編へ続く