前回の新田祐大選手が自転車でオリンピックを志したきかっけ、そして初出場となったロンドンオリンピックまでのストーリーでは、オリンピックへかける想いの強さが浮き彫りとなった。
しかし、落選となったリオデジャネイロオリンピック。彼は、どう受け止めていたのか。その後の現在へ至るまでのストーリーを訊ねた。
リオ落選と葛藤
リオデジャネイロオリンピックは選手選考で落選してしまいましたが、当時、大会の1年前くらいからナショナルチームに呼ばれなくなっていた事に対する心情はどんな感じでしたか?
「それがナショナルチームにとって最善の選択なんだ」と考えましたし、実際にナショナルチーム側も最善の策という決断だったと思うんですけど…選手がダメな状態なのに選手から「出させてくれ」っていうことなら選ばれなくても納得できたのですが、僕は準備出来ていて「いつでも行けるからチャンスをくれ」という状態だったんです。
出場するチャンスを誰に与えるかはチームが選ぶものですが、結局声がかからなくて本当に残念でした。僕はリオデジャネイロオリンピックに出場していない。文句を言っても蚊帳の外からなんです。やっぱり自分が出場して、メダルを獲っていれば「ほら、言ってた通りじゃん」って言えますが・・・・。
いつでも大会に出る準備はできていましたが、当時は自分のやらなければいけないと思ったことをやって、結果が出なかったですし、いろいろといい勉強になったと思います。
リオに出場できなかった悔しさはもちろんあっだけど…、リオっていうのが僕の中で1番オリンピックとして…何ていうのかな…薄い感じがしていましたね。
何か気持ちが昂ぶるものもなく、戦う前から負ける戦いをずっとやり続けている感じで。「今後ナショナルチームの目指しているところって、どこなんだろう?」っていうのは当時凄く考えました。
我々も取材陣も感じる部分はありましたね。正直どうするんだろうと
そのように第三者が思うってことは、多分、当事者たちは凄く不安だっただろうし、オリンピックに出る人が1番キツいですよね。それこそ、ロンドンで僕が味わったような経験をしたのではないでしょうか?