橋本英也プロフィール

1993年、岐阜県出身。チーム ブリヂストン サイクリング所属、競輪選手、トラック競技日本代表。2017-18トラックワールドカップ第4戦で日本人として史上初の男子オムニアムで表彰台に登り、銀メダルを獲得。同じくトラック競技日本代表の橋本優弥は実妹。

人生を左右した、五輪代表から落選

競輪学校生時代の橋本英也

自転車競技の世界でエリート街道を爆走していた橋本英也は、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは日本代表の選考から落選。

当時、ワールドカップや世界選手権にも日本代表として出場を果たし、2016年のリオデジャネイロオリンピック代表選考の直前に行われたアジア選手権でもオムニアムで優勝、アジア王者となる。これが決定打となり、橋本英也が選ばれるものと思われていたが、日本代表へ選ばれたのは橋本英也と代表枠を争っていた、現在はチーム ブリヂストン サイクリングのチームメイトである窪木一茂だった。

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この代表落選は波紋を呼んだが、最も衝撃を受けたの当の本人だ。この落選が、橋本英也の人生を左右する事となる。

「どうして?って、混乱してました。でも、アジア選手権で優勝したとはいえ、結果を出す時と出さない時の差を自分でも感じていました。まぁそれは怪我したり、色々なトラブルがあったりしてっていうのもあり“しょうがないじゃないか”っていう部分もあるんですけど。それに対し、代表に選ばれた窪木さんは安定して結果を出していた。そっちの方を取られたのでしょうね。」

この選考結果には、オリンピック代表選考の対象に2016年のトラック世界選手権で橋本英也が5位入賞を果たしたポイントレースは含まれず、窪木一茂が出場をしたオムニアムのみが選考の対象とされた、という事もある。

この当時に悔しさを感じつつも、橋本英也は前を向き、新たな道を自ら切り開く事を選んだ。

「その時は“オリンピックが人生を変える”という意識でいたので、落ちたってことがショックでした。でも、やっぱり1つのことだけやってちゃダメだなとも思ったんです。僕はリオのために色々捨て、トラック競技1本に絞っていたのに、落ちちゃったら何もないじゃんってなって。だったら、トラック中距離だけじゃなく、他にも居場所を作ろうって思ったんです。昔みたいに就職して終身雇用で、それ1本でやってくっていう流れはもう古いと思うので。」

そして求めた他の居場所が、競輪だ。

常に、同じ場所へ留まらない。