『KEIRINグランプリ直前 守澤太志×ブノワ・ベトゥ』

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レッツ・ビー・ア・ライバル

ブノワ:守澤選手は自分と同じような体型をしていますよね。中長距離も短距離も、どちらも選びやすい体型が我々なのかなと感じますが、マックスパワーはどれくらいでしょう?

守澤:1400ワットくらいは。

ブノワ:マジ(日本語)!?

守澤:ベストコンディションの時は1500ワットですね。

ブノワ:びっくりした(日本語)。私は昨日……1553でした。

守澤:勝てない(笑)

ブノワ:体重は何キロですか?

守澤:72kgです。

ブノワ:では同じですね。レッツ・ビー・ア・ライバル!競輪で面白いのはそこですよね、パワーがある人が勝つわけではなく、どういう風にレースをしてどんな戦術をするかが勝敗を分けますから。

佐藤慎太郎さんと守澤さんはレースの仕方が似ていると思います。誰かのミスをすかさず突いていくようなレースは、非常に面白いですね。競輪学校(現:選手養成所)にいたのは何年くらい前になるのでしょうか?

守澤:14年前です。深谷知広と同期です。

ブノワ:なるほど。当時のハロン(200mフライングタイムトライアル)のベストタイムはどれくらいだったのでしょう?

守澤:11秒4でした。本当に並の選手なんです。

ブノワ:S級S班がそんなこと言ったら、他の人が困ってしまいますよ(笑)この点も競輪の良いところですが、自分の強みさえ見つけられれば上に行けるところですね。

アームストロングの真似をしていた学生時代

守澤太志, 最終日12R, 競輪祭, 小倉競輪場

ブノワ:ロード種目からキャリアをスタートしたとお伺いしましたが、何歳からスタートしたのでしょう?

守澤:高校生からはじめて、大学までやっていました。7年間ですね。秋田の普通の、自転車部のある高校からスタートしました。

大学4年の時、ロードでプロに行くか競輪選手としてのプロに行くかの2択で迷って、結局得られるお金が全然違うということで、競輪を選びました。もしロード選手だったら、今の自分の年齢(37)では引退していると思います。「仕事」として考えるなら競輪選手がいいなと思いました。

ブノワ:高校に入る前から自転車に興味はありましたか?

守澤:幼少期から乗っていた、みたいなことはありませんでしたし、中学まではアルペンスキーをやっていました。未経験で高校からスタートしましたが、いきなりインターハイで優勝できました。日本は自転車の競技人口が少ないこともあって、優勝できたのだと思います。始めたばかりで成績がすごく良かったのは、自転車を続けていくにあたって大きかったです。当時のジュニアのレベルが低いとも言えてしまうのですが……。

ブノワ:自転車競技を始める前にツール・ド・フランスを観ていた、などということはないですね?

守澤:無かったです。でも高校・大学の間はロード選手でしたから、やっぱり「出場したいな」と憧れたりもしました。大会期間中は毎日観ていて「アームストロングすごいなあ」とか思っていました。自転車競技を始める前は、そもそも大会自体を知らなかったです。

ブノワ:自転車競技に触れてからの、憧れの選手は誰でしたか?

守澤:やっぱり(ランス・)アームストロングですね。当時全盛期で凄く強かったし、ハイケイデンスでペダリングしているのが特徴的でした。それを真似してめちゃめちゃハイケイデンスでロードを走っていました(笑)

ブノワ:ケイデンスの話が出たのでお聞きするのですが、競輪ではいつも同じギアでレースをしますか?それとも時によって変えたりします?

守澤:いつも同じです。

ブノワ:ギア規制についてはどのように思いますか?

守澤:僕はこのギアに合わせた踏み方とセッティングをしているので、変えられたら困っちゃいますね(笑)今のルールに特化したやり方なんです。今より重くなっても、今より軽くなっても弱くて、今のギア専用に特化しています。競輪のためだけにある自転車とフォームです。

強さより、長さを求めたい

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