2025年12月22日、都内にて行われたJCF主催の感謝の集いの一部にて、ナショナルチームに所属していた山﨑賢人、小原佑太、2人の自転車競技からの引退が発表された(※2人はプロの競輪選手なので、競輪選手としての活動は継続していくが、今後オリンピックを目指すような国際舞台には姿を現さないということ)。
引退式より
この記事では、山﨑賢人の歩みについて改めて足跡を辿っていく。2024年の世界選手権トラック男子ケイリンで、本田晴美の金メダル獲得から37年ぶりとなる世界一を獲得した山﨑賢人。日本の競輪界が待ちに待った世界一を獲得した山﨑はどうやって歩んできたのか。
2024世界選手権 優勝した直後のパフォーマンス
相撲、水泳、そして大学時代はバレーボール
以前のインタビューでも語っていたが、山﨑は少年相撲、水泳を経て、中学からバレーボールに打ち込む部活に熱心なスポーツ少年だった。大学でもバレーボールのチームに入ったものの、レギュラー奪取はできず。講演会などでは「大学最後の試合でモップがけをする役割だった。ダサい自分が嫌だった」と以外な一面も持っている。大学時代に京王閣が近かったこともあり、競輪に「賭ける側」として関わっていくことで世界王者への一歩目が始まっていく。
相撲時代
バレー時代(5番)
KEIRINグランプリ2013を現地観戦 そして競輪選手の道へ
転機が訪れたのは2013年のKEIRINグランプリ。当時大学3年生の山﨑は、グランプリのレースを観て競輪に憧れを持つ。そこからは加速して人生が変わっていった。電話帳を調べて地元の選手会に連絡をし、覚悟を決めてアマチュアへ。競輪学校(現日本競輪選手養成所)には一発で合格し、プロ競輪選手に向けて突き進んでいった。そしてちょうど山﨑が競輪学校に入学するタイミングで学校内にHPD(High Performance Division:競技力向上に特化した特別クラス)が立ち上がり、HPD第1期生となる。
右から2番目が山﨑
最初は競輪一本 2019年末からナショナルチームへ
2017年に競輪選手としてデビューすると、めきめきと頭角を現し、G1の決勝に乗るなど、その存在を示していく。その活躍が当時のナショナルチーム短距離ヘッドコーチのブノワ・ベトゥ氏の目に留まり、スカウトを受けてナショナルチームへに加入した。その時点でパリオリンピックまでは“やりきる”と決意を決める。
アフロは競輪選手になってから
意外にもアフロになったのは2018年(頃:本人談)。プロの競輪選手になってからアフロとしての人生が始まった。
アフロ山﨑
とんとん拍子でAチームへ しかし世界の壁を感じた2021年
ナショナルチームに入り1年となる2020年11月の全日本選手権では、スプリントで準優勝。初めてとなる競技の公式戦で結果を出し、12月にはAチームに昇格。2020東京オリンピックを経て、オリンピック組が引退すると、2021世界選手権では男子短距離のエースとしてケイリンの決勝へ進出。結果は5位。初の世界選手権としては好成績と捕らえても良いものの、当時のインタビューで「不甲斐ない。先輩方が“日本は強いぞ”と示してきてくれていたのに……全然ダメですね。絶対にメダルをと思っていたなか、何もできなかったので悔しいです。」と悔しさを滲ませ、報道陣の前では競技生活中、最初で最後となる悔し涙を見せた。
そして、その年には初開催となったUCIトラックチャンピオンズリーグにも出場。悔しさをバネにして海外修行も経験した。
涙の伏線は2024年の世界選手権で回収
日本人として37年ぶりの世界の頂へ
2022アジア選手権でスプリントを制すると初の競技でのタイトル獲得。しかしその後にパリオリンピックへのポイント争いが始まると、全日本、アジア選手権、世界選手権と、なかなか結果を出せない日々が続く。太田海也や中野慎詞ら若手の台頭もあり、結果としてパリオリンピックの正選手からは落選してしまう。
しかしこの時でさえも、腐らずに淡々とトレーニングを続けていた山﨑。オリンピックには出られなかったものの、直後に控える世界選手権を目標に自身を研ぎ澄ませ続けていた。結果として2024年の全日本選手権ケイリン、アジア選手権でもケイリンでタイトルを獲得し、自らの活躍で世界選手権出場への枠を得て2024世界選手権に臨んだ。
他の選手たちが多種目に出走する中、ケイリンのみに出走となった山﨑。予選から2→3→2着と勝ち上がり、決勝を迎える。奇しくも同じく出場していた太田海也、中野慎詞のオリンピック組は敗退し、日本人として決勝に勝ち上がったのは山﨑のみだった。
決勝レースは残り1周。4番手から、これまでの集大成と言わんばかりの捲りで先頭で出ると、そのままの勢いでゴール。日本人として1987年の本田晴美の優勝から37年ぶりとなる偉業を達成した。
栄光の瞬間
大喝采を浴びるアフロ山﨑
世界チャンピオンとして迎えた2025年は全日本、アジア選手権と表彰台に上がることは無く、世界選手権で結果が出なければ引退と心に決めていた大会だったが、1回戦を突破することが叶わず。競技の引退に至る形となった。
2025世界選手権、レース後の雑感
『挑戦』を体現してきた元王者・山﨑賢人
日本にとって37年ぶりとなる男子ケイリン世界チャンピオンとなった山﨑賢人。その競技人生を振り返ると、光の中をずっと進んできたわけではなく、むしろ負けることを繰り返しながらも節目節目で結果を出してきた足跡が分かる。その足跡には、決して諦めることなく、挑戦し続けてきた背景があり、山﨑の競技を始めたころからの”覚悟”が垣間見える。
2025年をもって競技を引退するチャンピオン、山﨑賢人。諦めずに続けた結果が世界チャンピオンに繋がった、挑戦や努力を体現してくれた最大の選手例だろう。
山﨑賢人の自転車競技での挑戦は幕を閉じた。
自転車トラック競技をけん引してきた、これまでの功績に最大の賛辞をおくると共に、これから再び始まるであろう競輪選手としての山﨑賢人の『挑戦』、その第2章に期待をしたい。
このタイトルは永遠に山﨑と共に
