イギリス短距離チームの一員として活躍したジャック・カーリンが、自転車競技からの引退を発表した。

オリンピックで2大会連続メダルを獲得

1997年生まれ、スコットランド・グラスゴー郊外にあるペイズリー出身のジャック・カーリン。

元々はサッカーに取り組んでいたが、14歳の時に両足首を骨折。その後、マウンテンバイクやロードバイクへ取り組み、2012年にグラスゴーに「サー クリス・ホイ・ベロドローム」が誕生したことをきっかけにトラック競技への挑戦をスタートさせたという。

徐々にスプリントで頭角を表し、『2020東京オリンピック』と『2024パリオリンピック』ではともにチームスプリントで銀メダル、スプリントでは銅メダルと計4つのメダルを獲得。『世界選手権トラック』でも複数のメダルを手にするなど、イギリスが誇るトップ選手の一人であった。

「あと4年、もう一度炎がつくか」と自問自答

2024年8月の『2024パリオリンピック』、中野慎詞も出場したケイリン決勝にてともに落車、股関節を負傷して以降戦列を離れていたジャック・カーリン。
引退を告げる自身のSNSのポストでは、パートナーと旅をして自分を見つめ直す時間を過ごす中で、「あと4年、もう一度炎がつくか」と自問自答した結果、変化を求めている自分に気づいたとコメント。

2026年には『コモンウェルスゲームズ』(イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される国際競技大会)がグラスゴーで開催される予定で、かつてカーリンもメダルを獲得した大会の地元開催であったが、出場を見送り、「ヘルメットを脱ぐ」決断を下すこととなった。

引退発表に際して行われた会見では、両親が車を売って競技用ホイールセットを買ってくれたことなどを振り返りながら、「もし自分と似た境遇の子どもたちが“チャンスを掴もう”とする時に、自分の経験が少しでも刺激になれば」と語ったことが海外メディア(Cycling Weekly)で報じられている。

また、今回の発表に際して、イギリス男子短距離チームコーチであるジェイソン・ケニーが「英国スプリントチームにパフォーマンスのギャップを残す(大きな戦力の空白を生む)」とするコメントをしたことも同メディアには記載されている。

ジャック・カーリン コメント

世界の舞台で10年以上にわたりグレートブリテンを代表してきました。
2度のオリンピック出場、4つのオリンピックメダル、そして数え切れないほどの世界選手権、ヨーロッパ選手権、コモンウェルスゲームズ——。このスポーツキャリアの章を、いま正式に閉じる時が来ました。

振り返れば、本当に誇らしい気持ちです。
ペイズリー出身のひとりの少年が、夢を追い続け、努力を重ね、その夢を現実に変え、世界最高峰の舞台で戦い、表彰台に立ち、スコットランド史上3番目に多くオリンピックメダルを獲得したアスリートになれたのです。

パリ2024大会のあと、私は一度立ち止まりました。心身を休め、パートナーのクリスティと旅をし、自分を見つめ直す時間を過ごしました(だから少し音信不通でした)。
「あと4年、もう一度その炎がつくか?」——そう自問してみた結果、正直なところ、変化を求めている自分に気づいたのです。

このスポーツは、私という人間を形づくってくれました。忍耐、規律、そして物事を広く見る力を教えてくれた。
一生ものの友情を築き、忘れられない瞬間を分かち合い、少年時代のジャックが夢見ていたような場所を旅することができました。

ブリティッシュ・サイクリングの素晴らしいチーム——コーチ、スタッフ、メカニック、そして特に理学療法士チームのケイティ、オーウェン、ベン、ハンナ——。不可能を可能に見せてくれた数え切れない時間、本当にありがとう。

そして母と父へ。
あなたたちがいなければ、何ひとつ実現しなかった。
クルマを売ってホイールを買ってくれたこと、雨や寒さのなかでレースを応援してくれたこと——。
すべてを与えてくれました。とくに、私が自分を信じられなかったときに、あなたたちが信じてくれた。どれだけ感謝しても足りません。

私はエリートスポーツの世界から離れます。けれど、この競技から得たものはすべて、これからも私の中に残ります。
努力する姿勢、逆境に耐える力、プレッシャーの中で結果を出す力——それらはトラックの外でも生き続けます。

新しい始まりに乾杯。
そして、これから始まる次の冒険へ——どんな形であれ。

※SNS投稿文の翻訳

参照:
Cycling WEEKLY「’I don’t have 100% of me to give to it anymore’ – British Olympic medallist retires at 28」