チームとの決別、そして念願のツール初勝利

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プロとしての礎を築いたチームと決別したグライペルは、2011年「オメガファルマ・ロット(現:ロット・ソウダル)」に移籍。ここで真のエースプリンターとしての地位を手に入れる。そして、ついに念願のツール・ド・フランスへ出場を果たす。

栄えあるツール・ド・フランス初勝利は、カベンディッシュを力でねじ伏せたものだった。どれだけ勝利を重ねても、カベンディッシュの“控え”として扱われ、出場がかなわなかったツール・ド・フランスで、ついにその実力を世界へ示したのだ。

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レース後、元チームメイトの両者はお互いを称え合い、ロードレース界稀代のスプリンターである二人の対決が今後も続くことを予感させるものだった。この段階で、既にカベンディッシュはキャリア17勝を挙げていたが、グライペルにとっては決して手の届かない数字ではないとも感じていた。

グライペルは2012年もステージ3勝を挙げ、シーズン終了後に「人生最高の年だった」と語るほど充実した1年を送る。同年、2人目の女の子が誕生したことも、大いに力となったはずである。

キッテルの台頭、ドイツ復活の立役者

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2012年をキャリア最高のシーズンとして終え、さらなる飛躍を誓った2013年に新たなるライバルが現れた。世界最強スプリンターと名高い、マルセル・キッテルの台頭である。

同じドイツ生まれのマルセル・キッテルはグライペルの6歳年下で、当時23歳。この若きスプリンターはチーム・ジャイアント=シマノからツール・ド・フランスに初出場すると、ステージ4勝の荒稼ぎをした。

一方のグライペルは1勝にとどまるうえ、キッテルにゴール前で差されての2着が2回と、力負けの様相であった。この結果へ対し、グライペルはチームメイトの働きに感謝しつつも「自身の力が足りなかった」とキッテルを称えるしかなかった。

その後もグライペルはキッテルの後塵を拝し続けるが、キッテルが不在のツール・ド・フランス2015年大会ではステージ4勝を挙げるなど、スプリンターとしての衰えは見せていない。30歳を越えたグライペルのキャリアが終焉に近づいているとも囁かれたが、そんな声は実力ではねのけた。

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実はドイツでは、2011年からツール・ド・フランスのテレビでの生中継が行われていなかった。それは、2000年代半ばにドイツ選手のドーピングが相次ぎと発覚し、ドイツ国内での自転車競技人気が低迷したためである。

しかし、グライペルとキッテル、2人のドイツ人選手の目覚ましい活躍で人気が回復し、2015年から再び生中継が復活した。そしてついに2017年、ツール・ド・フランスのスタート地点がドイツのデュッセルドルフに設定されるまで至った。

グライペルの自転車競技に対する誠実な態度とレースで残した実績が、ドイツにおけるロードレース人気の復活に多大な貢献をしたといえる結果だろう。

音楽の才能も見せるグライペル