7年間の試行錯誤の果てに掴んだ切符
高校2年生の時に初めて世界大会に出て「世界で活躍したい、オリンピックに出たい」という気持ちを抱き、監督に伝えた言葉は「化け物になる」。そこから7年経ちましたが、この7年の間にはさまざまなことがありました。
東京オリンピックの際も出場を目指していましたが、結果としては補欠。正選手となった今井(美穂)選手は「今オリンピックに出るべき人は今井さんだな」と思わされる人でした。
そういうものを押しのけてやっていくのが選手というものかもしれませんが、当時の自分は不安定で、今井さんの気持ちの強さをすごく感じていました。
睡眠障害に苦しんだ日々
一昨年(2022)の9月から、半年ほど休養を取っていました。
立て続けの海外遠征に体が追い付けず、またたくさんの海外遠征をしたにも関わらず成績を残せなかったことにも追い詰められ、睡眠障害が慢性的なものになってしまって。それも「不眠」というよりは「ずっと眠い」という方向性の不調で、周囲からの理解も得にくいものでした。
高校生の頃に良い成績を重ねていた分、「強くなきゃダメだ」という気持ちが強くなりすぎていたのだと思います。自転車本来の楽しみを見失い、うまく進まなくなってしまった時期にも私のことを理解し、楽しく自転車に乗れるよう支えてくれた親には感謝しています。そして休養したことをきっかけに、楽しい気持ちで走ることを思い出せました。
周りを気にせず、自分に集中する。そんな考えに切り替わったことが続けてこれた理由だと感じます。
オリンピックで結果を求めることは大事です。でも一生懸命がむしゃらに走って「ここまで成長できたよ」と、そんな姿を見せたいなとも思っています。
さまざまなことがあった7年間でしたが、高校2年生の時に感じたことを諦めきれずに続けてきた結果が、このオリンピックの切符。
時間がかかりましたが、支え続けてくれた家族、応援してくれた方々にやっと良い報告ができます。やっと恩返しできると思えて、とても嬉しいです。
「自分のやるべきことをやる」
オリンピックまで時間はあまりありませんが、特別なことをやるというより「自分のやるべきことをやる」ということを大切に過ごしていきたいです。
メダルを獲得するということは正直厳しいと思います。でもひとつでも上の順位を取り、次のオリンピックに繋げる大会にしたい。「日本の選手でも海外のレベルの高いコースをを思いっきり走れる」ということを、強く見せられたらと思います。
「マウンテンバイクの認知向上を」
小笠原崇裕マウンテンバイクコーチ
うらら選手はジュニアの頃にナショナルチームに入り、コーチングを受けてきました。その頃から「体の強い選手だな」という印象があり、そのまますくすく育ってパリオリンピック代表になりました。非常に嬉しく思っております。
日本では、マウンテンバイクはまだまだマイナースポーツ。うらら選手がオリンピックで良い走りをすることで、後に続く子どもたちや日本全体におけるマウンテンバイクの認知も上がっていくのではないでしょうか。
これまでの日本女子選手のオリンピック最高順位は20位。うらら選手にはそれを上回る結果を出し、ロサンゼルスオリンピックに向けての足掛かりを作って欲しいなと思います。
川口選手はこの後、7月の初週にマウンテンバイクの全日本選手権に出場したのち、7月22日よりパリへ出発する予定だ。
第37回全日本自転車競技選手権大会マウンテンバイクが7月6日XCC、7日XCOが長野県の富士見パノラマリゾートで開催されます。パリオリンピック代表候補選手の川口うらら選手も出場します。マウンテンバイクXCの日本一を決める大会にご来場ご観戦ください。https://t.co/vCddbP7aKj pic.twitter.com/MjTvaVQc5b
— JapanCyclingFederation -日本自転車競技連盟 (@JCF_cycling) June 28, 2024