自分の集大成を作りたいと思っていた

しかし、競輪学校の教官や自転車界のアドバイザーとして今後も明るい道は開いていたはず。なぜ沖さんがこのタイミングで勉学の道に戻ろうと思ったのか。その点が気になった筆者は率直にその疑問を訪ねてみた。

「アスリートのままでいたくないと思いました。結局、競輪学校に在籍して生徒たちに教えていても“経験”でしか物を語れませんでした。勉学に戻ったのは自分の経験以外の部分を補うため。そして自分の経験にもっと“説得力”をもたせるためでした。生徒にとって肩書があっても頼りない先生にはなりたくなかったですし・・・。あとは自分が引退してからの一つの区切りというか、まとめが欲しかったのもあります。選手を引退して、そして先生になって、そのまま流れに身を任せるということも出来ました。でもそうではないと思って、ここまでの自分の集大成を作りたいと思っていました。

私の2年先には杉山愛ちゃんが同じ研究科、同じゼミ(研究室)に入っていて、頑張ろうと言ってくれたということもあり、やろうと思いました。最初は女性スポーツを勉強しようと思っていたのですが、その中で研究対象として「股ズレ」が出てきました。このテーマは数ある問題の中の一つです」

引退してから気づけたこと