新田祐大 グランドスラムまでの軌跡
2005年7月15日に競輪へデビューした新田祐大。
自転車競技を始めたのは学生時代。幼少期から観ていたオリンピックの舞台に憧れ、高校からトラック競技を本格的にスタート。インターハイやJOC、国体などを制し、ジュニアの世界・アジア選手権などでもメダル獲得を含む好成績を残してきた。
高校卒業後、競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入るもトラック競技を継続。競輪デビューの翌年には、全日本トラックやアジアンゲームズ(アジア競技大会)などで早くもメダルを獲得しており、当初から二足の草鞋を履く選手として活躍。2012年には自身初のオリンピック(ロンドン)へ出場するも、チームスプリントで8位と悔いの残る初陣となった。
KEIRIN.jp 新田祐大プロフィール
KEIRIN.jp 自転車競技 過去の大会レポート
ロンドンオリンピック後の決意
そんな新田が初めてG1を制したのは2015年3月の「日本選手権競輪」。優勝インタビューでは、ロンドンでの悔しい思いを糧に、「オリンピックが終わって、本当にG1を意識し始めた」と心境の変化を語っていた。
そう語った新田は同年9月の「オールスター競輪」へファン投票7位で出場し見事優勝。早くも2つ目のG1タイトルを獲得した。
優勝インタビューでは、伏見俊昭や佐藤慎太郎らの名前を挙げ、「タイトルをたくさん獲っている先輩たちの背中を見てきた」「僕もタイトルを獲りたい」などとコメント。グレードレースで優勝を積み重ねていくことへの思いを明かした。
KEIRIN.jp 優勝者インタビュー
・2015年度「日本選手権競輪」, 2015年度「オールスター競輪」
さらに悔しい経験、しかしより大きな目標を
2012ロンドンオリンピックで悔しい経験をした新田。日本の競輪が世界のケイリンに通用するよう、「まずは日本の競輪で1番になる」と目標を掲げていた。
しかし自身G1初優勝から約1年後、2016リオオリンピック出場を1つの大きな目標にしていた新田だったが、日本代表メンバーにその名が載ることはなかった。
日本代表選手団発表から約2ヶ月後、2016年6月に開催された「高松宮記念杯競輪」。落選から数ヶ月後の出場となったが、新田は初日から1着を獲り、自身3つ目のG1タイトルを獲得。
優勝後のコメントではリオオリンピックに出場できない悔しさを語りつつも、4年後の東京2020オリンピック出場に向けて既に動き出していることに言及した。
さらに自身1人の成長だけでなく「”日本が”世界で活躍できるように」というより大きな目標を掲げた新田。その”夢を追うため”に自ら設立した「Dream Seeker Racing Team」についても触れつつ、「競輪選手として活躍しながら、東京2020オリンピックでのメダル獲得」という思いを語った。
KEIRIN.jp 優勝者インタビュー
・2016年度「高松宮記念杯競輪」