村上義弘引退会見 質疑応答
Q:「理想とする日本一の競輪選手にはなれなかった」とおっしゃっていましたが、詳しく教えていただけますか?
自分が理想とする競輪選手は、速くて、上手くて、強くて、自分に満足しない、常に向上心を持つような選手。今日の自分より明日の自分が……という気持ちだけは持っていられたと思いますが、自分が圧倒的に強かったわけではありませんし、「理想」とするところには届かなかったなと思います。
Q:そうおっしゃるところが「日本一の選手」だなとも感じます。
いや、もっと強くなりたかったです。
Q:引退を決めた瞬間はいつだったのでしょうか?
前回の最終戦、松阪(9月10日〜12日)の時、出走表の連対率が0%でした。こんなことは初めてで……。初日・2日目はダメで、3日目はたまたま自力で動くメンバーの中、レースに取り組む、勝負する気持ちを変えずに走れて、結果1着でした。久しぶりに自分らしい、弱気にならないしっかり組み立てられたレースができました。
ずっとファンをがっかりさせてきた中、「納得してもらえるかな」という気持ちになりました。ずっと無様なレースを見せ続けるのも良くないし、「これが村上のレースだ、さすがだな」と思ってもらえるところで引けば良いのかな、と考えました。
Q:松阪のレースで引退を決められたとのことですが、その直後にご自身が大事にされている平安賞(向日町G3、9月24日〜27日)がありました。これに出る、出ないの葛藤はあったんでしょうか?
迷いはありました。向日町競輪を最後とすることも考えましたが、その気持ちで走るとレースに何らかの影響を与えていたと思います。そこで選手仲間に悟られてはいけない。そういうことを考えたときに、後を託して、と判断しました。
Q:今の村上選手の表情は、選手だった頃とまるきり違って見えます。どのような心境ですか?
競輪を走れない、ということを味わうのが寂しいですね。燃え尽きたというか……やり切ったと思います。本当に「完全燃焼」という気持ちでいられますし、これからは競輪仲間を応援する側に回りたいと思います。
Q:ご家族にはどのように伝えましたか?
妻には、松阪から帰ってきたところで「これを最後にする」と話しました。最初はもちろん驚いていましたし、思い描いていた「引退レース」もなく、でも妻も娘も、何も言わず「お疲れ様です」と。
Q:選手人生の中で印象に残っているレースは?
たくさんありすぎて選べないくらいです。
そうですね
本当に……選べないですね。
思い返してみて、いろんな場面がありました。
Q:引退を発表した日、どのようなことを思いましたか?
ホッとしたと思います。14歳から競輪選手を夢見て自転車に乗り続けて、競輪のこと、練習のことを毎日そればっかり考えていました。今でも自然に考えてしまうのですが、考えた時に「ああ、もう考えなくていい」となる。
寝るときにここが痛い、と思って「ああ、もう痛くていいんだ」となります。
ひとつひとつ荷物を下ろしている感じです。
Q:「競輪選手ではない人」になった最初の日、何をして過ごされましたか?
起きて練習に行く準備をしようとして「あ、練習行かなくていいんだ」となりました。情けない話ですが、子どもがパジャマのまま学校に行くようなものですね。不思議な感覚でした。
Q:これから、どうしますか?
突然の決断だったので、ゆっくり家族孝行ができればと思います。
Q:選手生活28年、村上選手にとっての「競輪」とは?
僕の人生そのもので、それしか知らなかったです。競輪以外のことを考えたことがなかったです。
子どもの頃、恵まれた環境ではなかったですけど、競輪があったことで人生が救われました。これからも競輪に感謝し続けていきたいです。競輪は僕の人生で、競輪と共に生きてきました。それしかありません。
Q:引退を決意してから今日まで1ヶ月弱、自転車には乗られましたか?
乗っていません。怪我や病気をしたこともありましたが、これだけの期間自転車に乗らないというのは初めてです。中学生ぶりに自転車に乗らない生活をしています。
Q:村上選手に憧れている後輩選手に、どんな声をかけますか?
本当に僕は人に恵まれた競輪人生を送ってきたと思います。良い先輩、良い仲間、そして年齢を重ねてからは後輩……それを見て自分の指針にしてきましたし、自分がまた背中を見せることが僕を育ててくれた先輩たちに対する恩返しだと思います。
電話で話した後輩もいれば、現時点で話せていない後輩もいて、直接伝えたいとは思うんですが、話すと自分が先に泣いてしまいそうで……ちょっと落ち着いてからそれぞれに話をしたいなと思います。
Q:28年間走り続けられた要因はなんだったんでしょうか。
とにかく理想とする競輪選手、速くて強くて負けない選手を目指していたこと……負けてばかりではあったんですが、その日その日を一生懸命頑張ってきたら、気がつけば28年でした。
Q:弟、博幸選手に改めて想いを伝えるとしたら、どんなことでしょうか?
博幸は後輩で兄弟で、心強く思う反面強く当たることも多かったです。博幸が自転車に乗り始めてから25年くらいでしょうか、兄弟でありながら兄弟でない部分がありました。自分が引退して立場が変わって、昔のように兄弟に戻ることができます。
Q:これからは一番のファンですね。
そうですね。競輪選手として、家族として、喜ばせてくれることを博幸に託します。
Q:村上選手の「理想とする競輪」とは何だったのでしょうか。
競輪選手が他のスポーツと違うのは、ファンの皆様が直接お金をかけるところだと思います。自分は全てを背負って走るし、勝てば嬉しいですけど、負けた時も「もし自分が走るなら村上のように走る、その結果負けたなら仕方ない」と納得してもらえることが大事だと思います。
また一緒に走る仲間、敵として対する選手であっても、勝負だからと何をしても良いわけじゃない。それぞれが勝負として納得できる結果にならなくてはいけない、と思っていました。
Q:検車場では非常に険しい顔をしていた村上選手ですが、その雰囲気を出していた理由はどのようなところからだったんでしょうか。
その点に関しては、取材に来られる皆さんに(話しかけにくい雰囲気を出して)ご迷惑をおかけして……(笑)この場を借りて、すみませんでした。
その緊張感を持ち続けないと、自分の心が維持できない部分がありました。ちょっとでも緩めると戦えなくなる弱さがあったと思います。その弱さを勝負の世界で表に出してはいけないですし、そう強く思うことで、皆さんにご迷惑をおかけしたかもしれません(笑)
Q:早くから練習していたり、自転車をとても大事に扱っている姿が印象的な村上選手ですが、引退するとなってお別れの儀式のようなものはされたんでしょうか?
先日向日町競輪場に行ったときに、バンクの神様って言うんですかね、お礼をしてきました。一緒に戦ってきた自転車も、今少しずつ整理をしているところです。
Q:これからの競輪に、どうなってほしいと望みますか?
時代ごとの素晴らしい選手がいて、僕も素晴らしい仲間に囲まれてきました。それぞれの時代にそれぞれのファンがいて、競輪はファンの思いを乗せられる特殊な競技です。選手が責任を持ち、ファンと一体になってほしいです。
自分が一番走ってきて良かったなと思う瞬間って、勝ったときに場内が一緒に喜んでくれる、地鳴りがするような瞬間でした。あの瞬間をどんどん作っていってほしいなと思うし、そうなっていけると思います。