小林優香選手は高校時代、バレーボールでインターハイ出場を経験。その後は競輪学校で女子生徒初のゴールデンキャップを獲得。さらに男女通じて史上初の3連続ゴールデンキャップ獲得と、競輪学校在学中から非凡な才能を発揮した。2014年のガールズケイリンデビュー後も22連勝を記録し“無敗女王”の異名を持った。その小林優香選手に、いよいよやってくる自身初の世界選手権への意気込みをマイアミ合宿の場で訊ねた。

しかしその前に、インタビュー前編では彼女の人物像へ焦点を当てて触れていく。自転車の世界へ足を踏み入れた理由、レース時とはギャップを大きな感じる朗らかな内面を知ってみよう。

競輪学校はキツくなかった

バレーはやりきった感があった

自転車競技を始めたキッカケは?

元々バレーボールをやっていました。本当はアタッカーをしたかったけど、身長が足りなくて中学校からセッターに転向しました。セッターになってからは春高バレーに出させてもらったり、大学もバレーで呼ばれたりしたけど、でもやっぱりやりきった感があって「もうバレーはいいや」ってなりました。何か違うことを始めたいなって思ってた時にたまたまガールズケイリンがあったんです。

高校生の頃、お母さんがたまたまガールズケイリン1期生の特集を見てて「これやってみたら?」って言われてたんです。その時は「私はバレーがあるから」って思ってました。そして大学1年の途中でガールズケイリンのことをふと思い出して「やってみよう」って思ったら、競輪学校の受験申込締め切りが3日後でした。それで「じゃあ受験しよう」って。

実際に競輪学校へ入ってみて、凄いところに来てしまったな・・・とかはありませんでしたか?

いえ、中学時代の方が練習量も多かったし、厳しかったから競輪学校はキツくなかったです。中学から寮生活をしていたから共同生活も平気でした。

競輪学校でゴールデンキャップ獲ったり、“小林優香”という名前が世間へ広まっていくのを見るのは、どんな気持ちでしたか?

競輪学校を出てからビックリしました。「あ、こんなに広まってたんだ」ってビックリしました(笑)デビューしてからはグランプリに出るという目標があったので、あまり気にしていませんでしたね。

デビューして2年目くらいの勝ち続けてた時は「勝たなきゃ」っていう変なプレッシャーがあったんですけど、今は(ガールズケイリンを走るのが)楽しみです。最近はガールズケイリンで走る機会が少ないので「久しぶりだ〜!」って楽しみな感じです。「優香ちゃん笑顔が増えたね」って言われますし。ずっとピリピリしてた感じでしたから。

【インタビュー全文】小林優香選手、1年2ヶ月ぶりの大舞台を制す

TV出演時、途中までリハーサルだと勘違い