天才は多くの場合に繊細で、彼にもそのイメージが当てはまる。一見すると陽気なイマドキな若者、長迫吉拓。しかしその足元は、様々な苦悩と努力が支えていた。

リオデジャネイロオリンピックBMX競技での日本代表経験を持つ彼が、東京オリンピックに向けBMXとトラックの2刀流に挑戦している。

男子チームスプリントの第1走として東京オリンピックでのメダル獲得も視野に入れる長迫吉拓とは?彼の人物像、BMX選手から見たトラック競技、そしてプロアスリートとして生計へ立てながらオリンピックを目指すことの苦労遍歴へと迫る。

長迫吉拓選手のプロフィール

長迫吉拓(ながさこ・よしたく)

1993年、岡山県出身。プロBMXレーサー&トラックレーサー。リオデジャネイロオリンピックBMX日本代表。2011〜15全日本選手権BMXで5連覇。そして2017年も全日本選手権を制した。

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たぶん日本一バラの似合う男(笑)

目の前にBMXコースがある幼少期

自転車に乗り始めたキッカケを教えてください。

4歳の頃、岡山の佐古でお父さんが脱サラをしてバラ園を始めたんですよ。ちょうどその頃、自転車に補助輪なしで乗れるようになっていたのと、バラ園から道を挟んだところにBMXのコースがあったんです。

お父さんは仕事が忙しいから「お前、あそこで遊んでこいよ」って。それがキッカケで、今ココです。

じゃあ、バラ園が出発点?

はい、たぶん日本一バラが似合う男ですよ(笑)

本格的にBMXの競技を始めたのはいつですか?

4〜5歳です。でも、最初は表彰台に立てるか立てないかくらいの成績でした。ナショナルチームには17歳になったばかりの頃、ジュニアリトルで入りました。

ロンドンオリンピック選考での挫折

2012年の頃、スイスのWCC(ワールド・サイクリング・センター、UCI直轄のトレーニング施設)でロンドンオリンピックを目指しトレーニングをしてたんですけど、結局ロンドンは出れなくて。

その頃お父さんが僕の遠征費とか出してくれてたんですけど、当時はバラ園の経営状況もあり「これ以上は厳しい」ってなっちゃいました。一気にスパっと、やりたかったことができなくなった感じでした。

それまでもバイトはしてたんですけど、それからは更にバイト寄りの生活になって、なかなか競技に集中出来なくなっていきましたね。

でも2012年の終わり頃、地元岡山の企業さんが初めてスポンサーについてくれて。そこで初めて「これでプロって言えるぞ」と。親からの援助無しでも海外遠征に行ったり出来るようになり、スイスのWCCを拠点にトレーニングして、その年の世界選手権で一気に7位までポンっていけたんですよ。それから「自分は世界でも活躍できるんだな」って何となくわかってきたんです。

挫折経験で見つけた、自分がやりたかった事

結構苦労しましたね。

ですね。お父さんが自営業だったし、すごくサポートしてくれてたんですが、ロンドンオリンピックには行けなかった。でも今はそれが逆に良かったと思いますね。

自分でスポンサーを探したり、色々と行動すると、自分が本当にしたい事がそこで見えてくるじゃないですか。周りの先輩方にも色々とスポンサー関係のことを教えてもらいました。基盤の作り方とか、人との会い方とか、話し方とか。

今はユニクロがスポンサーですか?

はい、2014年くらいから。日本チャンピオンになって2〜3回目勝った頃からです。

練習とバイト、深夜までスポンサー探し